久々の乗り鉄「『特急ときわ号』に乗って『急行ときわ号』を忍ぶ」こどもの日によせて

久しぶりの記事です。

 

この二年間はコロナ禍でひたすら自粛生活を送っていました。

家と職場を行き来するだけの変わり映えのない日々で、記事を書くモチベーションもすっかり下がっていましたが、少しコロナが落ち着く気配が見えてきたということで、昨日二年半ぶりくらいに乗り鉄をしてきたので、そのことを記事にしてみようかと思います。

 

乗り鉄と言っても土浦から上野まで行って帰ってきただけのささやかな行程で、今回の目的は特急ときわ号に乗って土浦から上野に行くことでした。

以前、子ども時代に急行ときわ号に乗った時の思い出を記事にしましたが、今回はそれと同じ行程を辿ることで改めて当時を忍んでみようかと思った次第です。

shinop100.hatenadiary.jp

乗ったのは、特急ときわ68号品川行。

12時47分勝田始発で、土浦には13時25分着、1分後の13時26分に発車となります。

今回初めてJR東日本えきねっとに登録し、チケットレスサービスで特急列車指定席の予約と料金の支払いを行いました。

チケットレスサービスを使えば特急料金は100円引きとなり、土浦から上野まで(66km)は920円となります。

えきねっと予約画面

また、今回これも初めてなのですが、切符ではなくSuicaカードを使って運賃を精算し改札口を行き来することにしました。

Suicaカードは普通列車グリーン車の利用で何度か使ったことがあるのですが、運賃の精算で使うのは実は初めてだったのです。

こういうのは実際に利用してみればなんてことはないのですが、初めて何かをやってみようという時は勝手が分からずかなり不安になってしまいます。

さらに、久しぶりの鉄道利用ということもあり、かなりナーバスにもなっていて、列車の発車時間よりかなり早目に土浦駅に行ってしまいました。

 

駅に着いたら、早速券売機でSuicaカードのチャージをしようと思ったのですが、機械に嫌われカードが受け付けられずいきなり出鼻をくじかれるという事態に……。

すぐさま駅員さんを呼んで対応してもらいましたが、駅員さんはカードの履歴がどうこうと理由を説明していましたが、よく理解できませんでした(^^;

ということで、なんとかチャージは無事に済ませられました。

ふと改札口を通る他の利用者の手元を見てみると、スマホモバイルSuicaを使っている人が多く、切符で通るような人は見かけませんでしたね。

 

駅に早く来すぎてしまったので、改札を通ってから四十分余りひたすら待つことに。

天気も良くて風も爽やかで絶好の行楽日和でした。

ホームでは家族連れや若いカップルの姿もちらほら目に。

目的の特急ときわ68号は定刻通りに土浦駅に到着。

使用車両はもちろん現在の常磐線の花形E657系で、堂々たる佇まいです。

ただ、いくらか車体の汚れや痛みも目に入り、ピカピカでは無くなってきた印象。

2012年のデビューから十年という月日も多少感じさせます。

ときわ68号 当画像は上野駅にて

目的の列車が到着して乗り込むときはやはり気持が高まるものです。

その様子をスマホのカメラに収めたかったのですが、気持ちに余裕がないのと、一般客の前で撮影するのは憚られて結局せずじまいでした。

土浦から東京方面はさほど距離はないのですが、土浦からときわ号を利用する人も意外といるようですね。

 

今回僕が指定した座席は9号車のD席。

東京方面に向かって編成後方の右側の窓際席です。

かつて子どもの頃に急行ときわ号に乗った時の記憶に大体合わせてみました。

 

客室に入り指定した座席の方をみると、アジア系の若い男性二人がシートに座っていて少し嫌な予感が……。

幸い席のそばまで行くとすぐに立って席を空けてくれたので安堵しましたが、こういうのはちょっと気まずくてあまり気分の良いものではないです。

最近のJR東日本では、多くの特急列車で基本的には全車指定席とするも座席未指定券(座席指定券と同額)があれば予約ランプのついていない空いている席に座れるという方式を取っていますが、座席未指定券で乗る人ってどれくらいの割合いるのでしょうかね。

もし、そういう人の割合がけっこうあるのなら、下り側の末尾(ときわ号の場合10号車)にでも自由席を設定してそこにも座れるようにしたら良いかもしれないと思いました。

 

乗車率ですが、えきねっとで二時間くらい前に予約した際は席にかなり空きがあったのでガラガラを予想していましたが、実際は意外と高かったです。

窓際席はほとんど埋まっているくらい。

やはり今でも大抵の人は乗る直前に駅で特急券を買うものなのでしょうか。

 

特急ときわ68号は定刻通りの13時26分に土浦を発車。

僕の周りは先述の件で席を移った若いアジア人男性たちがけっこう賑やかで、少々落ち着かない気分でした。

そのために急行ときわ号の思い出にゆっくり浸るという気分にはなれなかったのですが、それでも流れる車窓風景を眺めていると子ども時代の記憶が少し蘇ってきてノスタルジックな気分になってきました。

傾き始めた気怠い午後の日差しもその気分を高めます。

 

特急ときわ号のほとんどは土浦を出ると上野までの停車駅は柏のみ。

急行時代は柏ではなく我孫子だったのですが、途中一駅に停車というのは急行時代と同じ。

次々駅を通過していく様はやはり爽快感があり、車窓を眺めているうちにいつの間にかデッドセクションも通過していて、あっという間に車内放送でもうすぐ柏というアナウンス。

この辺りまで来るとスピードは少し控えめになる印象。

ダイヤは時間的に余裕をもって設定されていて、最初に飛ばせるところで飛ばし、終着駅が近づいてくると時間調整で速度が控えめに設定されるものなのでしょうか。

素人なのでその辺はよく分かりませんが、かつて急行ときわ号に乗ったときも同様だった気がします。

これは列車やダイヤの状況にもよるのかも。

 

上りの列車は南千住を過ぎると大きな右カーブに差し掛かる区間があるのですが、ここで編成後方から編成前方の車両がよく見えます。

かつて急行ときわ号に乗った時も、この区間で自分の乗っている車両を眺めたことがとても印象に残っています。

交直流用急行形電車のローズピンクとクリームに塗られた車体が、午後の日差しに照らされてとても美しかったことが昨日のことのように思い出されました。

今回はそれがE657系の車体なのですが、かつての体験を少しでも追体験したくて9号車のD席を選んだというわけです。

南千住-三河島のカーブにて

このカーブの区間まで来ると、そろそろ上野に到着とのアナウンスが始まります。

上野は今や終着駅ではないので、列車旅の終わりという雰囲気はかつてほどは感じさせませんが、それでも降りる人はそれなりにいて、駅に近づくにつれてパラパラと席を立つ人が目に付いてきます。

僕は早めに席を立ちデッキで待機することにしました。

誰もまだ来ぬうちに、デッキ内とドア越しに客室をスマホのカメラに収めました。

車内をまじまじ観察したり撮影したりする余裕はなかったのですが、証拠写真程度にさっとパシャリ。

上野に到着し、ホームに降りてからもときわ号の姿をさっとスマホのカメラに収めました。

列車は上野駅では幾分長く停車していた印象です。

多くの人が降りることを想定して長めに停車時間を取っているのかもしれませんが、時間帯的なものなか、コロナ禍の影響で乗客が従来より少なめという事情もあるのか、若干時間を持て余していたような印象を受けました。

それから、列車は悠然と東京、品川方面に向かって発車していきました。

上野駅のホームに降りると当日の目的は達成したので後は帰るのみでした。

せっかく上野まで来たのだし色々観て回ろうかという思いもありましたが、コロナのことや体調面の懸念もあるので欲張らずに大人しく引き返すことに決めていました。

ただ、手ぶらで帰るのも芸が無いと思い、駅構内の駅弁・お土産売り場で崎陽軒のシウマイ(真空パック)を購入。

小腹も空いていたので、帰りの列車内用にとNew Daysで万かつサンドとお酒も購入。

以前、万世のハンバーグサンドの方を買ってすっかり気に入り今回も買おうと思っていたのですが、置いていなかったのでかつサンドにしました。

帰りはやはり普通列車グリーン車です。

密を出来るだけ避けたかったこともあり、今回は乗客の少ない階下席を選びました。

その日の目的を果たした達成感と解放感で、帰りはかなりリラックスして過ごせました。

もちろん、万かつサンドもお酒と一緒に美味しく頂きました。

至福の時ですね。

常磐線普通列車グリーン車はもはや僕のホームになっているかもしれません。

慣れたもんです。

ほんと落ち着く(笑)

 

そう言えば、コロナ禍以前は月に一度くらいの頻度で東京にさんみゅう~というアイドルグループのコンサートに行っていて、その帰りに常磐線普通列車グリーン車をよく利用したものです。

そこで缶ビール片手に流れる夜景を眺めながらコンサートの余韻に浸ったりしたものですが、グループは二年前に活動停止し、コロナ禍のこともあり、めっきり東京の方へは行かなくなりました。

今やこれも思い出となりつつあります。

 

17時前には土浦駅に着きました。

帰りの道中に飲んだお酒の影響もあるのか、家に着くとけっこう体がぐったりでした。

久しぶりの乗り鉄でかなり緊張もしていたのだと思います。

僕は少し社会不安障害気味なところがあって、不特定多数の集まるような公共的な空間がすこぶる苦手で、実のところ鉄道の利用は楽しいという以上に緊張と不安を強いるものなのです。

もちろん子どもの頃はそんなことは全然なかったのですが、こうなったのは思春期以降ですかね……。

ただ、ここ数年は歳を取ったという事もあるのか、そういう症状も少し軽くなり、楽しいの方の比率が大きくなって来た気もします。

 

今回、特急ときわ号に乗って感じたのは、時は経ち、時代も変わり、僕も歳を取ったという実にほろ苦いものでした。

急行ときわ号に乗ったのは1983年か1984年のことで、もはや四十年近く前の話でそれも無理からぬことです。

当時はまだ国鉄Suicaはおろか自動改札口すらなかったような時代。

あれから国鉄は民営化されてJRとなり、バブル景気や失われた二十年、さらに震災やコロナ禍を経て世の中もずいぶん変わり、世知辛くなった印象です。

JR各社も営利企業として不採算事業をどんどん縮小、削減しているというし、車両の運用や列車の運行ダイヤなども利用実態に即して合理化されて行っているようです。

車内販売の縮小や、みどりの窓口の閉鎖もそうした流れの一環なのでしょう。

今後人口減少でますます利用者は減っていく一方との見通しもあり、地方の不採算路線をどうするかなどという景気の良くない話も耳に入ってきます。

僕自身も小学生だった当時のように世界や物事をシンプルに見られなくなりました。

電車に乗っていても、様々な社会や大人の事情を垣間見てしまうのです。

子どもの頃のような胸の弾むようなワクワクや感動はなく、当時の気持ちを追体験しようにも決してできないということを改めて思い知らされた気分です。

ただ、子どもの頃には知り得なかったことを知ることで、物事を深いレベルで興味深く眺められるようになった部分があることもまた事実です。

それはそれで良いのかもしれません。

常磐線にはもう「急行ときわ号」はありませんが、普通列車グリーン車という新たな「推し」も見出しました。

ひたち・ときわ号の行く末も気になります。

少々気が早いですが、次はどんな車両になるのかとか……。

おそらく常磐新幹線というのは実現しないだろうから、在来線特急としてのひたち・ときわ号はこの先も安泰なのでしょう。

ひたち号仙台直通便もどうなるのか。

少し前の地震による東北新幹線不通の振り替え輸送でがその意義が示されたので、僕はこれも存続していくのではないかと思います。

あと、最近はTXがつくばから先に伸長するという話があり、実現すればこれが常磐線の列車運行にどのような影響があるのかも興味深いところです。

 

とまあ、色々興味は尽きないわけですが、今回をきっかけにまた乗り鉄趣味を再開したいところです。

コロナの状況を見つつ、二か月に一回くらいはやりたいでしょうか。

 

ということで簡潔にさっと記事を書くつもりが、結局長々と自分の思いを語ってしまいました。

今回はこの辺にしたいと思います。

 

さて、次は何に乗ってどこへ行こうか……