愛車メモ⑤ 燃料添加剤

来月、愛車(AK11マーチボレロ)のオイル交換をしてもらう予定なので、その前に燃料タンクに燃料添加剤を入れることにしました。

燃料添加剤と言えばコレ。

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ワコーズ F102 フューエルワン 150ml ¥2,200

オートバックスで購入。燃焼室やバルブやインジェクターに堆積した汚れの除去、燃料の酸化やタンク腐食の抑制、潤滑性の向上などといった効果があるとのことです。

昨年(2025年)末に一度入れてみたのですが、正直なところ、それで燃費が目に見えて向上するなどの効果を実感する事はできませんでした。しかし、洗浄効果自体は確実にあるようなので、1年に 一度くらいオイルを交換する前のタイミングで入れておこうと思っています。

ちなみに今日はガソリンも入れてきたのですが、今回の給油量と前回からの走行距離から燃費は14.2km/Lくらいでした。エアコンも使用している中でこれはなかなか優秀なのですが、燃料添加剤によっては燃費はさらに向上するのでしょうか。次回の給油時に少し期待。

以上、愛車メモでした。

2006年北陸一人旅の思い出

今から20年前の2006年の春に北陸で一人旅をしたことがありました。今回はその時の思い出話を書こうと思います。

当時、私生活でいろいろあり、大変苦しい時期でした。旅をすることで何とか人生を好転させる良いきっかけを掴みたかったのだと思います。また、この頃一時的に鉄道へ想いが再燃したりしたのですが、鉄道への想いというのは僕にとって少年時代への郷愁と結びついていて、辛い時に度々立ち現れるものであった気がします。

何故場所を北陸にしたのかと言うといくつか理由がありますが、まず一つに富山に学生時代にとても仲の良かった友人が暮らしていて、久々に会おうという話があったからです。もう一つは、北陸はまだ行ったことがなく、子どもの頃に図鑑でよく目にした雷鳥号、はくたか号、北越号、加越号といった北陸本線を走る特急列車にいつか乗ってみたいと思っていたことを思い出したことがあります。さらには、北陸の有名な温泉地へ行ってゆっくり温泉に浸かってみたかったというのもありました。そういうことで、北陸への旅を計画したわけです。

 

20年前の話なので記憶も所々曖昧なのですが、行きは旅費を抑えるために鉄道は使わずに夜行バスで富山まで行ったかと思います。先述の学生時代の友人は当時のJR魚津駅近くに住んでいて、富山駅に着いた日の朝に駅まで車で迎えに来てくれて、そのまま一緒に富山の名所を巡ったりしました。その道中、黒部峡谷鉄道のトロッコ列車に乗ったりしましたが、これは僕のたってのリクエストでした。

黒部峡谷鉄道のトロッコ列車(2006年)

トロッコ列車から望む黒部ダム(2006年)

夕方には魚津駅近くの居酒屋へ行き、夜遅くまでいろいろ語り合ったりもしました。その夜は一旦友人とは別れて宇奈月温泉のビジネスホテルに泊まりました。

友人は次の日に金沢の方を案内してくれるつもりだったらしいのですが、僕はすでに新潟の月岡温泉に行くと決めていて、宿も予約していたので、金沢の案内はまたの機会ということになりました。

何故、新潟へ行こうと思ったのかと言えば、当時好きだったタレントが新潟出身だったからです。それだけの理由。月岡温泉にした理由も特段深いものはなく、新潟の温泉地について調べていて偶々目に付いたからです。

ということで、次の日ホテルをチェックアウトすると、月岡温泉に向かうべくJRの魚津駅に向かいました。この時も友人がビジネスホテルまでわざわざ迎えに来てくれて魚津駅まで送ってくれたのでした。

 

友人とは魚津駅で別れ、そこから鉄道で新潟の方へ向かったのですが、この時に乗った列車が特急北越号でした。北陸本線を走る特急列車に乗るというのは旅の目的の一つで、2006年当時は北陸新幹線開業前で、北陸本線は北越号、はくたか号、サンダーバード号、しらさぎ号など特急列車が頻繁に往来する全国有数の特急街道でした。

魚津駅ではご当地の駅弁でも買って移動の列車内で食べるつもりでいましたが、生憎駅弁を売っているような店は見つけられませんでした。魚津駅は特急の停車駅だったので、当然駅構内で駅弁くらい売られているものだと見込んでいたのですが、甘かったです。仕方なく駅近くのコンビニでお昼を調達することにしました。せっかく富山まで来てコンビニ飯かと味気ない思いでしたが、コンビニでは鱒寿司の握りが売られたりしていて、そこはコンビニといえども地域色があるのだと多少の気休めにはなりました。

魚津から乗った列車は1053Mの特急北越3号新潟行きです。10:36金沢始発で、魚津は11:34発、終点の新潟には14:19着というダイヤでした。

特急北越3号ダイヤ(金沢‐直江津)(2006年)
「全国小型時刻表」(株)交通新聞社 2006年2月1日 518頁

特急北越3号ダイヤ(直江津‐新潟)(2006年)
「全国小型時刻表」(株)交通新聞社 2006年2月1日 630頁

使用車両は485系で国鉄時代から変わらずも、塗装はJR時代になってから施された白の地に青とターコイズブルーの帯という所謂「上沼垂色」で、国鉄時代とは異なるもの。

出典:ミツキ-2368, CC BY-SA 3.0 <https://creativecommons.org/licenses/by-sa/3.0>, via Wikimedia Commons

しかし、子どもの頃に散々憧れた国鉄時代から変わらぬ前面形状を見ると大いに気持ちが高まったものです。この旅ではデジタルビデオカメラを持参していて、道中時々カメラを回していたりしたのですが、残念ながらその時の北越号は映像にも画像にも残しませんでした。今思えば画像なり映像なり撮っておくべきだったと後悔しきりです。

月岡までは北越3号で新津まで行き、そこから羽越本線の普通列車に乗り換えるという行程だったかと思います。北越3号の魚津から新津までの走行距離は213.4㎞で、所要時間は2時間30分でした。自由席に座りましたが、座席が随分と年季が入っているように感じられたのを覚えています。タバコの焦げ跡があるような箇所もあったような……。JR時代になってから、国鉄時代に作られた特急形車両のアコモデーションはリニューアルされたりしていたようですが、僕の乗った自由席車のインテリアは国鉄時代からあまり変わっていなかったような印象でした。僕個人としてははその方がノスタルジーを感じられて嬉しかったのですが。

魚津から乗ってしばらく車内は比較的空いていた気がします。途中からはけっこう乗客も増え、幹線特急らしい活気ある雰囲気を感じた記憶があります。お昼時には魚津駅前のコンビニで買った鱒寿司の握りを食べたりしましたが、駅弁ではないことが少し悔やまれました。車内販売で駅弁を買うことも可能だったとは思うのですが、何せ不慣れな初めての独り旅で、しかも社会不安障害気味の僕にとって、車内販売員を呼び止めて駅弁を買うなどという行動は心理的なハードルが高すぎたのです。

北越号に乗車していた2時間30分はあっという間だった印象です。列車内ではひたすら車窓を眺めていただけだと思うのですが、初めて見る北陸の車窓風景に飽きることがなかったのでしょう。

特急北越3号の車窓から望む北アルプス(2006年)

新津からは羽越本線の普通列車に乗り換えて月岡まで行きましたが、何故かこのあたりは記憶がほとんどありません。羽越本線は電化されていますが、新津-新発田(しばた)間は列車の本数も少なく、使用されていた車両はディーゼル車だったはずで、この時乗った車両は、2026年現在では希少種になったキハ40であったような気がします。

 

月岡駅からは記憶がはっきりしてきます。月岡駅はいかにもローカル線の駅といった佇まいの小駅で、周囲に少し民家が立ち並ぶ以外は水田が広がるばかりのほとんど何もない所でした。この時乗ってきた普通列車の月岡到着時刻に接続して月岡温泉まで行くバスが出ていたのですが、もたもたしているうちにバスが出発してしまったことを憶えています。バスは1時間に1本くらいは出ているだろうと軽く考えてのんびり構えていたところもあったのですが、以後バスは出ていなかったか、次の便までかなり時間が空いていたかと思います。

タクシーを使うという手も考えましたが、あいにく駅前にタクシーが1台も停まっていなかったので、歩くことにしました。事前にホームページで確認していた月岡温泉までの案内マップから、20分くらい歩けば着くだろうと見込んでいましたが、これも甘かったですね。50分ほどかかったかと思います。4㎞弱程度の大した距離でもなかったのですが、荷物の旅行カバンを抱えながらの歩きはけっこうハードでした。ただ、この時は季節的には暖かくなり始めたくらいの頃だったし、悪天候にも見舞われることもなかったので、その点は今思えばラッキーだったと思います。

ちなみに2026年現在は、月岡駅から月岡温泉行きのバスは出ていないようで、月岡温泉に行くには新潟駅や新発田駅から出ている月岡温泉直通のシャトルバスの利用が無難でしょう。

月岡駅から温泉街まで県道(300号)脇の歩道をとぼとぼと歩いて行ったのですが、最初は道路の両側に水田が広がるばかりで、この先本当に温泉街があるのかかなり不安でした。月岡温泉の温泉街は、月岡駅から向かって山間の手前の平地に位置していますが、温泉街は山間部にあるというイメージがあったため、遠目ではその先に温泉街があるような風景には見えなかったのです。しかし、しばらく歩くと、ちょっとした集落に差し掛かり、ぼちぼち宿泊施設の看板などが目に付くようになり、県道の先には温泉街のホテルや旅館などが立ち並ぶ姿が見えてきました。

 

月岡温泉で泊まった宿は「蘭亭」というこじんまりした温泉旅館でした。ここを選んだ理由はインターネットで月岡温泉の宿をいろいろ調べていたときに、家庭的な暖かい手作り感が感じられて、ここでなら気負うことなくゆったり過ごせそうな気がしたからです。ただ、閑散期だったためか予約の電話をかけた時は1軒も予約が入っていなかったようで、1名での予約はすんなり受け付けてもらえませんでした。営業コストととの兼ね合いで、ある程度の宿泊人数を確保する必要があったのでしょう。そのため一旦は保留になったのですが、その後数名のグループ客の予約が入ったとのことで蘭亭の方から連絡をくれて予約が成立しました。

そんな経緯もあり、一抹の不安は拭えませんでしたが、蘭亭に到着すると女将さんをはじめ従業員の方は感じ良く迎えてくれたので、ここを選んで正解だったと胸を撫で下ろしました。蘭亭は最初に思い描いていた通りの家庭的で暖かい雰囲気の風情ある旅館で、それはこの旅で一番の幸運でした。

新潟の月岡温泉は全国有数の硫黄泉で、部屋に案内されるときも、女将さんから強い硫黄分の影響で部屋のテレビが勝手についたり消えたりすることがあるけど幽霊の仕業じゃないです……などといった説明があったことを覚えています。実際に宿泊中テレビが勝手についたり消えたりする現象が起きました。

その日宿泊していた男性客は僕くらいだったようで、男湯の露天風呂は貸し切り状態で、誰にも気兼ねなくゆっくり湯を満喫することができました。湯は源泉かけ流しで、女将さんの説明通り硫黄分を多く含んだいかにも温泉らしい良い湯で大満足でした。

夕食も海の幸と山の幸をふんだんに使用した料理でとても美味しかったです。

この時お酒もかなり飲みました。瓶ビールを3~4本くらい飲んで、それ以外に焼酎や日本酒もけっこう飲んだのではないでしょうか。今はお酒は控えていますが、当時はかなり飲んでいました。部屋までお酒や料理を運んでくれた若い仲居さんからもハイペースな飲みっぷりを心配されるほどで、ふと太宰治の『八十八夜』という短編小説を思い出したりもしていました。もっとも僕の場合は『八十八夜』の笠井一さんのように、げろを吐くまで酔い潰れることもなく何事も起きないのですが……。食事が終わると特にすることも無いので、また露天風呂に浸かりに行ったりして、その夜は大人しく布団に入ったかと思います。

 

次の日の朝のことはどうしても思い出せないのですが、多分もう一度くらい露天風呂に浸かったかと思います。朝食がどうだったのかは思い出せません。

蘭亭をチェックアウトしたのは朝の10時くらいになるのでしょうか。お見送りをしてくれた女将さんから、帰りの旅のお供にと名物の月岡饅頭を手渡されたことを覚えています。

その後は他の観光地に寄ることもなくまっすぐ帰路に就きました。蘭亭の女将さんから教えてもらった月岡温泉から出ているシャトルバスに乗って、白新線の豊栄(とよさか)駅に向かったかと思います。2006年当時は月岡温泉から豊栄駅までのシャトルバスが出ていました。(2026年8月現在は休止中のようです)

 

その後、豊栄から普通列車で新潟まで行き、上越新幹線に乗りかえたかと思います。この辺りも記憶が定かでなく、長岡あたりで乗りかえたような気もします。上越新幹線に乗るのは初めてだったし、新幹線というものに乗ること自体がかなり久しぶりだったのですが、そのことに関しては特別な感慨は抱かなかったように思います。新幹線の車内はけっこう混んでいて落ち着かなかった記憶があります。また、この時は3列シートの窓側席に座っていたのですが、一度トイレに立った際に廊下側に座っていた年配の会社員らしき男性に舌打ちされたりと、新幹線内での時間はあまり愉快ではなかった印象です。

自宅の最寄り駅である土浦に着いた頃は夕方近くになっていたでしょうか。上野から土浦までの電車内ではすぐ寝落ちして居眠りをしていたのですが、土浦に着いたとき首がかなり痛くなっていました。それまで電車で居眠りしても寝違えるようなことは無かったので、体の違和感を少し意識したことを覚えています。実はこの旅の1ヶ月後に再生不良性貧血という病気で入院する羽目になるのですが、旅をしていた時点でけっこう病に蝕まれていたようで、その影響もあった気がします。旅の最中にも、それまで経験したことのないようなめまいや息切れを感じることがあって気にはなっていたのですが、その時はまさか再生不良性貧血などという病気に罹っているとは夢にも思わなかったです。

 

こうして、ほろ苦さと若干の体への不安を抱えつつ北陸一人旅を終えたのでした。

 

2005年から2006年にかけては個人的にとても苦しい時期でした。当時は心療内科に通ったりもしていて、メンタル面の不調で仕事を辞めたりもするなど辛いライフイベントが重なった時期でした。旅の途中に撮った画像も色合いがどんよりと暗めで、これは無論使用していたカメラのせいでもあるのですが、僕には当時の自分の心象風景が表れているようにも感じます。

そのような「人生お先真っ暗」といった心持ちの中、なんとか良いきっかけを掴みたいと思って計画したのが北陸一人旅でした。この旅で何か良いきっかけを掴めたかと言えば、何も掴めなかったというのが正直なところです。旅が終われば、相も変らぬどうしようもない自分自身と日常に向き合う日々が待っているだけでした。さらには、すでに再生不良性貧血という重病(2006年当時は難病指定されていた)にも冒され、1か月後には入院するという事態になりました。ちなみに、その後の入院生活は1ヶ月半に及び、退院後も通院での服薬治療が続き、服薬が必要ないレベルまで寛解するのに1年以上かかりました。

そんなどん底の時期に行った北陸一人旅でしたが、僕にとっては初めて独力で計画して行った旅で、今当時のことを思い出してみると「いい旅だったなあ」という感慨が湧いてくるのです。追憶は美化されがちということを差し引いても、学生時代の友人と会っていろいろ語り合ったり、子どもの頃にあこがれた黒部峡谷鉄道のトロッコ列車や北陸特急に乗ったり、暖かい雰囲気の趣ある温泉旅館で温泉をゆったり満喫出来たり、なかなかいい旅だったと思います。社会不安障害気味だったナイーブな僕にとってそれは大冒険でもあり、単なる観光という以上の大きな体験だったことは間違いありません。

あれから20年経ちます。自身の体感としてはつい最近の出来事にも思えるのですが、この間に無くなってしまったものや変わってしまったものもあり、20年という歳月の重みも感じます。月岡温泉で宿泊した「蘭亭」はもう廃業して無くなっているようです。いつ頃まで営業されていたなど詳細は不明ですが、お世話になった女将さんも当時すでにけっこうご高齢だったと思うので、今も健在なのかは分かりません。

魚津から新津まで乗った特急北越号も、その後の北陸新幹線開業によって廃止されてしまいました。北越号で使用されていた国鉄特急形の485系もこの20年の間に引退済みで、北越号も走っていた北陸本線の敦賀‐直江津間(北越号は金沢-直江津間の運転)は現在JRから切り離され、ハピラインふくい、IRいしかわ鉄道、あいの風とやま鉄道、えちごトキめき鉄道といった第三セクターに分割されています。

今思えばこの時に鉄道趣味に目覚めていたら、青春18きっぷなどを使ってもっといろんなところを巡っただろうと思うし、それによって楽しみも広がったと思います。人生も少しは変わったかもしれません。ただ、この時の僕の目は全く違うものに向けられていて、旅が終われば鉄道へのノスタルジックな想いもすぐに薄れてしまいました。人生そんなものかもしれません。人にはその時期で心を動かされる旬の物事というものがあるのです。

当時僕は30代にさしかかって間もない頃でしたが、やはり若かったと思います。いろいろ健康上の問題や精神的な不安を抱えつつも北陸を一人旅しようと思い立ち、それを実際に計画して行動に移したわけで、我ながらよくやったと思います。

また、当時は20年後なんてまだまだ先の未来に思えたものです。今当たり前のように存在しているものや身近に居る人達が、いつか無くなったり居なくなったするなどということも切実な実感を伴って意識することはありませんでした。すでに10代や20代のような若者とは言えない年頃になっていましたが、未だモラトリアムの真っ只中で、過去を振り返るより将来を案じることの方が多かった気がします。まだ若く将来に目を向けるからこその「お先真っ暗」という心持ちだったのかもしれません。

ここ数年は、鉄道を始め、いろいろなものを通して、今当たり前にあるものもいつかは無くなるということを実感を伴って意識するようになりました。そのため、触れられるものは触れておきたいし、一人旅というものも出来るうちにまたやっておきたいと思う今日この頃です。鉄道や車を使って日帰りで遠出するくらいなら今もやっていますが、泊まりがけの旅行というのはしばらくしていません。2006年に北陸を旅した時に会った学生時代の友人ともあれ以来直接会っていなかったりするので、会えるうちに会っておきたいですね。

次に北陸を旅するとしたら、前回行かなかった金沢方面にも行ってみたいでしょうか。実は二十歳くらいまで本籍が石川県にあったのですが、行ったことは一度もないのです。石川県は一昨年の能登半島地震のこともあるし、どんな所なのかずっと気になっていたので、一度訪れてみたいところです。

 

以上、長々と書き連ねてきましたが、2006年北陸一人旅の思い出話はこの辺で終わりにしようと思います。

愛車メモ④ ディストリビューターとドライブシャフトの交換

本日、日産ディーラーでディストリビューターとドライブシャフト(フロント左)の交換をしてもらった愛車(AK11マーチボレロ)を引き取ってきました。

帰りに自宅までの数キロを運転してきた限りでは、交換前に見られたディストリビューターのオイル滲みとオイル臭はしなくなっていました。

ドライブシャフトの方は未確認です。

どちらも新品ではなくリビルト品への交換で、費用は部品代と技術料の合計で¥94,886でした。

下画像はディストリビューターの交換前(上)と交換後(下)のもの。

ディストリビューター(交換前)

ディストリビューター(交換後)

ディストリビューターはアッセンブリー交換だったので、オイル漏れの心配はもう無いでしょう。

 

以上。

愛車メモ③ 12ヶ月点検

今日、日産ディーラーで愛車(AK11マーチボレロ)の12ヶ月点検をしてもらってきました。

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点検で確認された2点の修理が必要な不具合です。

①ディストリビューター本体からのオイル漏れ

②フロント左ドライブシャフトブーツの破れ

 

①についてはディストリビューターの交換、②についてもドライブシャフトごとの交換が必要とのこと。

上記以外にもヘッドガスケットからのオイル滲みや、マフラーが錆び出しているなどの症状があり、いずれ対応が必要になるだろうとのことです。

 

素人の自分にはいまいちピンと来ていない部分もあるのですが、ディストリビューターとドライブシャフトの交換は日を改めてやってもらうことにしました。

費用を抑えるために、どちらもリビルト品での対応です。

 

やはり、古い車は手がかかりますね。

予算の半分程度で購入した車なので、修理費は少しくらいかかっても構わない考えていますが、それも限度があります。

古い車で自動車税が高くなることなどを考えると、購入費の半分(24万)くらいが修理費用合計の許容範囲といったところでしょうか。

今回ディストリビューターとドライブシャフト交換すれば、早くも許容範囲を超えそうです。

 

ちなみに、愛車を12か月点検に出したのは、実は今回が初めてだったりします。

以前は24か月ごとの車検だけやってもらっていて、恐ろしいことに、オイル交換はその時のみ。

それくらいルーズでしたが、それでも歴代愛車は故障らしい故障がほとんどなかったのでそれで十分だと思っていました。

ただ、今の愛車のように古い車となればそうもいきません。

走行中に動かなくなったりするのも厄介なので、定期点検やオイル交換はちゃんとやっておこうと思う次第です。

 

以上、愛車メモでした。

仙台行きひたち号乗り通しの鉄道旅

もう1年前の話になってしまうのですが、常磐線の仙台行きの特急ひたち号に乗り通してきました。

ときわ号の方はちょくちょく乗っていたのですが、ひたち号に乗るのは1994年の夏に水戸-上野で乗って以来31年ぶりで、仙台行きのひたち号に乗り通すのは今回が初。

 

仙台行きのひたち号は、かつて上野口から多数発着していた在来線の東北特急の面影を唯一今に伝える存在。

そんな仙台行きのひたち号乗り通しは前からやろうやろうと思いつつなかなかやれずにいたのですが、今回ようやく実行することが出来ました。

また、今回は仙台から引き返す際は新幹線を利用し、在来線特急のひたち号と新幹線の乗り比べもしてみました。

 

今回乗ったひたち号は7時43分品川発のひたち3号仙台行きで、始発の品川駅からの乗車となります。

ひたち3号に充当されている車両はもちろん常磐線のエースE657系です。

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ひたち3号の停車駅は以下の通り。

品川(7:43発)→東京→上野(8:00発)→柏→土浦→水戸→勝田→常陸多賀→日立→磯原→泉→湯本→いわき(10:25着)→

広野→富岡→大野→双葉→浪江→原ノ町→相馬→仙台(12:28着)

走行距離373.9㎞、走行時間4時間45分の行程となります。

 

この特急ひたち3号ですが、2022年3月12日のダイヤ改正以前は上野始発(発車時刻は8時00分)で、上野始発の方がかつての東北特急の雰囲気は味わえたかもしれません。

ひたち号は基本的に上野から水戸までノンストップですが、ひたち3号については柏、土浦に止まり、土浦までは停車駅がときわ号と同じということになります。

1982年の時刻表を確認すると、上野8時00分発仙台行きの急行ときわ5号が設定されています。

また、1978年の時刻表では上野8時00分発盛岡行きの急行もりおか1号が設定されていたのが確認できます。

柏、土浦に停車なのはかつての急行の筋が引き継がれた名残と言えるでしょうか。

 

車内清掃の後、いよいよひたち号に乗り込みます。

列車の行先表示器の「仙台」の文字に胸が躍ります。

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列車は7時43分定刻通りに発車。

最も気分が高揚する瞬間ですね。

発車したらすぐさま軽く朝食タイム。

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品川発車の時点で乗車率は3割程度で僕の隣の席も空席でしたが、空いている座席上のランプは全て黄色に点灯していました。

そして上野を発車する時点でほぼ満席状態で、僕の隣にも男性客が座りました。

 

上野を出発してから柏まで、ダイヤの関係か、かなり速度が控えめで、緩行線の各駅停車に抜かれるくらい^^;

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柏を出発するとようやく速度を上げていきましたが、E657系の本領発揮とまでは至らず、まだまだ控えめな印象。

しかし、土浦を発車してからは何かから解き放たれたように速度をグングン上げてE657系らしい走りとなり、気分も爆上がりです。

やはり、ひたち号はこうでなければ。

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水戸には品川発車から1時間余りで到着。

近年は茨城県央県北の人口流出問題が取り沙汰されていますが、県庁所在地の水戸の街並みは、やはり茨城の中心地といった趣です。

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水戸、勝田の次は常陸多賀、日立に停まります。

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私事ですが、1995年の春から2000年の秋ごろまで日立市に6年近く住んでいました。

日立まで来たのは実に25年ぶりで、懐かしかったです。

ただ、車の免許を取ってからの移動は専ら車だったし、鉄道への興味を失っていたので、日立に住んでいた頃(1995年春~2000年秋)は常磐線を利用する機会は少なかったです。

当時は651系のスーパーひたち号全盛期で、国鉄型の415系鋼製車の普通列車もまだけっこう走っていたし、水戸以北では元急行型の455系もまだまだ現役だった時代。

今思えば鉄道に興味を失ったことが悔やまれます。

 

日立辺りまで来ると、海岸近くを走る区間が多くなり、車窓から見える風景も北の湘南といった趣きでしょうか。

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今回、日立から高萩、北茨城、勿来にかけての風光明媚な車窓風景をつくづく眺めてみて、観光地としての秘めたるポテンシャルがあるように思えました。

かつて日立に住んでいた頃はあまりそういうことを意識したことは無かったですが、それでも海沿いの国道6号線から臨める景色が好きで、高萩や北茨城方面によくドライブしていたことを思い出しました。

 

乗客は水戸、日立で降りる方がけっこう居ましたが、乗ってくる方もそれなりに居て、乗車率は7、8割維持されていました。

僕の隣の席に座っていた男性の方も日立で降りていきましたが、入れ替わる様に若い女性客が隣に座りました。

この辺りから乗る需要もけっこうあるようです。

 

いわきには10時25分到着。

ここでかなりの乗客が降りていきました。

僕の隣に座っていた方もいわきで降りて行かれて、以後終点の仙台まで隣は空席でした。

それでも乗車率は3、4割程度は維持されていて、いわき以北のひたち号もそれなりに需要があることも分かりました。

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もっとも、だからこそ仙台行きが設定されているわけですが……

 

ほとんどのひたち号はいわきが終着駅ですが、仙台行きのひたち3号はまだまだ先があります。

しかし、車内販売のサービスはいわきまです。

僕の乗っていた号車では、品川からいわきまで車内販売員は一度通ったきりでした。

おそらく車内販売員は1人しか乗務されていなかったかと思われます。

32年前(1994年)に茨城大学工学部を受験するために、上野から日立まで651系のスーパーひたち号を利用したことがあります。

その時は車内販売員が2、3人乗務していて、上野から日立の1時間半の間に車内販売員が何度も行き来していた記憶があります。

当時と比べると、車内販売のサービスも大分縮小されたことが覗えて何とも寂しい状況ですが、時代の移り変わりと鉄道事業の厳しさをこういうところからも感じます。

 

いわきからは列車の本数もぐっと減ります。

ここから先で気になるのは、やはり福島第二原発とその周辺地域がどうなっているかということ。

今回実際に目にしてみて、やはり未だ事故の傷跡が生々しく残っていると感じました。

かつては田畑であったと思われる荒地の姿もずいぶん目につきました。

しかし、復興も着実に進んでいるようで、徐々に人も戻りつつあるようにも思えました。

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原ノ町には11時31分に到着。

いわき以北の仙台までは、ここが最も大きな街になるのでしょうか。

この辺りまで来ると大分遠くまで来たなという感慨も湧いて来ます。

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原ノ町を過ぎればひたち3号の旅も終盤にさしかかります。

乗車率は意外と保たれていて、まだ3割程度は維持されていました。

また、この辺りまで来ると原発事故の影響は顕著には感じられなくなります。

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原ノ町から仙台までは相馬のみに停車です。

相馬を過ぎればひたち号の旅もいよいよ終わりが見えて来ます。

岩沼からは東北本線に合流し、傍には東北新幹線の高架も見え、ひたち号も終点に向けてラストスパートです。

車窓風景も段々と建物が増えて都会らしい町並みになってきます。

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そして、12時28分に終点の仙台に到着。

品川から4時間45分におよぶ特急ひたち3号の旅が終わりました。

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3時間以上同じ列車に揺られる鉄道旅はかなり久しぶりなので、鉄道旅を満喫した充実感と心地よい疲労感に包まれましたが、長かったという感慨は意外なほど無かったです。

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快適な特急型車両に揺られていたことと、途中の車窓風景で見どころも多く飽きることがなかったからでしょうか。

 

仙台駅では少し構内をぶらぶらしました。

構内では鉄心をくすぐるこんなものも……

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かつて仙台駅を行き来した優等列車のトレインマークやヘッドマークが展示されていました。

急行列車フリークの僕はやはり「急行まつしま」のヘッドマークに目が行きますかね。

幼い頃は東北急行も憧れの的で、図鑑などで見る455系の東北電車急行の姿に胸をときめかせたりもしたものです。

『小学館入門百科シリーズ36 電車なんでも入門』(昭和59年 小学館)より抜粋

仙台の地を踏むのは今回が初めてでしたが、現在唯一残っていると言える在来線東北特急の仙台行きひたち号に乗っての初仙台はなかなか感慨深いものがありました。

仙台駅構内は人も多く、さすがは東北一のメガシティといったところでしょうか。

ここが仙台であることを知らずに駅の外に広がる景色を見れば、東京だとも思いそうな都会の風景が広がっています。

看板の「宮城学院女子大学」や「仙台ロフト」の文字で、ようやくここが仙台であることが分かるくらいでしょうか。

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折角仙台まで来たのでご当地のグルメでも満喫したい気分もありましたが、ひたち号で仙台まで来たことで大方目的は果たしたので、気分的には十分お腹いっぱいでした。

あとは引き返すのみです。

上りのひたち号で引き返すことも考えましたが、新幹線との乗り比べをするのも一興と思い、新幹線に乗って引き返すことにしました。

東北新幹線もまだ乗ったことがなく、良い機会でしたしね。

構内でお土産用の牛タンの干物と帰路の新幹線内で食すための駅弁を購入し、新幹線のホームへ向かいます。

 

帰路で乗ったのは13時44分仙台発の東北新幹線やまびこ142号。

当日はメインのE5系10両の後ろにE8系7両が増結されていました。

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時刻表では仙台から福島まではE5系10両での運転で、福島からE8系7両のつばさ142号と併結されることになっていたのですが、この数日前に発生したE8系の車両トラブルの影響でこのようになっていたかと思われます。

ちなみに途中の福島駅では、福島止まりのつばさ号からの乗り換え客を待ってからの発車となっていました。

(詳細は不明)

僕は増結車両のE8系の自由席に乗ることにしました。

車内は大分空いていて、終点まで状況は変わらなかったです。

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列車が出発すると、お昼時も過ぎていたので、すぐに駅弁タイムにしました。

いただいたのは温める機能がついている加熱式の牛タン弁当です。

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加熱式の駅弁は初体験で、本当に温まるのか半信半疑でしたが、本当に温まるんですね。

さすがは令和の駅弁。

大したもんです。

……が、しかし、温めるための加熱装置が少々場所を取り過ぎてやしないか。

その分、ご飯の部分が大分薄かった😅

惜しい。

個人的には加熱装置にかかるコストを食べる量の方に回して欲しい派です。

まあ、でも美味しくいただけました。

加熱式の駅弁は、加熱装置がさらに進化して場所をもう少し取らなくなってからまたいただこうと思います。

 

やまびこ142号は仙台から東京までの所要時間は2時間4分でした。

上りのひたち号で引き返せば東京まで4時間30分程度かかるので、所要時間はその半分以下となります。

さすがに速いですね。

特に在来線特急のひたち号に乗った直後では、あっという間だと感じました。

しかも、これがはやぶさ号であればもっと早いわけです。

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そして、新幹線は揺れも少ない。

とにかく速くて快適。

E657のひたち号も十分快適ですが、新幹線に比べたらさすがに少し劣る感はあります。

特にいわき以北にある単線区間ではけっこう揺れる印象を受けました。

これはE8系がデビュー間もない一方、E657系はデビューから10年以上経過していることも多少はあるのかもしれませんが…

 

やはり新幹線と在来線特急は違いますね。

新幹線はスピードも快適さも全てにおいて上質で、特別な乗り物に乗っているという高揚感がさらにあります。

それが世界の新幹線たる所以なのだろうし、乗客が新幹線に流れるのも無理はないです。

この令和の時代、料金的なメリットが多少あったとしても、4時間以上かけてわざわざ東京から在来線特急で仙台まで行こうという人は、まあ、僕のようなもの好きだけなのでしょう。

 

 

以下まとめです。

仙台行きのひたち号乗車は、期待していた通りの楽しい鉄道旅となりました。

在来線をかっ飛ばしていく特急列車には新幹線の異次元的なスピード感とはまた異なる爽快感と風情があります。

沿線の風景を間近で十二分に楽しめるのも魅力で、見どころも多く、時間が経つのもけっこう早く感じました。

令和の時代、このようなかつての東北特急の生き残りとも言える在来線の長距離特急列車の存在は貴重なのではないでしょうか。

同時に、新幹線の素晴らしさというものも認識しました。

新幹線は出来るだけ早く快適に遠くまで乗客を運ぶという特急列車の至上命題を突き詰めた形なのだと思います。

そして、それは鉄道が向かう必然だったと思うし、一つの到達点なのでしょう。

 

しかし、何時間もガタゴト揺られる鉄道旅の独特な醍醐味というのは、やはり在来線でしか味わえません。

常磐線は独自の旅客需要を抱える絶妙な(微妙とも言える)位置づけの路線に思えます。

だからこそ、仙台行きのひたち号のような長距離を走る在来線特急が今でも存続できる余地があるのだろうし、そのような状況は今後も変わらないと思われます。

僕のようなもの好きには、東京から仙台まで行く手段として新幹線と在来線特急のひたち号という二つの選択肢があることは実に幸運なことです。

今後も仙台行きひたち号が無くならないことを願いつつ、今回はこれでおしまいとします。

愛車メモ② エアコンフィルター交換

先日、愛車(AK11マーチボレロ)のエアコンフィルターを交換しました。

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交換用のパーツは日産の純正部品(部品番号:AY684-NS003)をアマゾンで2130円で購入。

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フィルターは2枚あって、挿入部分の上と下で二つ嵌め込むようになっています。

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今回交換作業をやって初めて知りましたが、部品はそのまま取り換えるのではなく、一部をカットするなどの加工が必要でした。

車種によってカットする部分が異なるようで、K11世代のマーチは下画像のような形状にカットとなります。

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てっきりそのまま交換だけすればよいと思っていたので、これはちょっと驚きでした。

カットはノコギリカッターで行いましたが、本当にカットして良いのかとかなり戸惑いました。

 

そんなこんなで、交換作業にはかなり時間がかかってしまい、3時間くらい要したでしょうか。

その日の夕方に部品が届いたので、明るいうちに30分くらいでちゃちゃっとやってしまおうと思っていたのですが、とんでもなかったです。

グローブボックスやフィルターの取り外しは割とすんなりいったのですが、新しいフィルターの取り付けがなかなか上手く行かず、それだけで2時間くらい悪戦苦闘していたと思います。

もう、どうやっても嵌らないので、部品番号が間違ってたのでは? とか、カットするときの形状が間違っていたのでは? とか、カットの仕方が良くなかったんじゃないかなどとと思ったりの、かなり疑心暗鬼になりながらの手探りでの試行錯誤でした。

はめ込み方には少しコツがあり、最初に上に嵌め込み、それをしっかり上に押し上げて下に挿入するとようやく上手く嵌りました。

ずっとその逆の順序でやろうとしていて悪戦苦闘していました。

また、嵌め込む部分に配線が干渉していたことも作業を難しくしていたと思います。

こういうことも、勝手知って慣れればどうということはないのでしょうが、慣れない初めての作業というのはすんなり行かないものです。

 

取り外した古いフィルターの汚れは大分凄まじいことになっていました。

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おそらく、何年も取り替えはしていなかったものと思われます。

そりゃ臭うわけだ。

 

次の日に通勤で車を運転しましたが、心なしかエアコンの効きが良くなった気がしました。

しかし、そのまた次の日にエアコンを切って送風状態にすると、いや〜な臭いが…

フィルターを新しくしても、その周辺に長年溜まったゴミやら汚れやらが残っているのでしょう。

次回の交換では、取り付け部分の清掃もしようかと思います。

 

今回はとりあえず取り付けられて、取り付中に何か破損させたりせずに済んだのでよしとしましょう。

 

以上、愛車メモでした。

愛車メモ① 愛車紹介

当ブログの記事の内容はほとんど鉄道についてでしたが、今後は自分の乗っている車などについても綴って行こうかと思います。

 

まずは今乗っている車の紹介。

日産のAK11マーチボレロ(2000年式)で、排気量は1.3L、ミッションは4速ATです。

オーテックが手掛けた2代目マーチのカスタム仕様車でクラシックカーを模したレトロな外観が特徴的です。

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この車は昨年(2025年)7月に京都の中古車屋からカーセンサー経由で購入しました。

陸送費含めた諸費用込みで50万円弱でした。

それまで車にはほとんど拘りは無く、故障が無くてコスパが良ければ何でも良いという具合でしたが、「この車に乗りたい」という強い思いを抱いたのはこれが初めてかもしれません。

惚れたのはこの外観でしょうか。

レトロで可愛らしい……というのが僕のツボだったようです。

購入前、他にも候補としてクラシックミニやダイハツの初代ミラジーノなどもありましたが、ミニは少々趣味性が強くて僕には上級レベル過ぎるので、実用と趣味が兼ねられそうな初代ミラジーノかK11世代のマーチボレロの2択となり、最終的にはよりレア感のあるK11世代マーチボレロに決めた次第です。

 

四半世紀前の車なので、さすがに古さは否めません。

各所経年劣化や不具合も見られます。

今年になってからオイル漏れのトラブルもあり、修理に総額14万円ほどかかりました。

車体の傷や錆、バンパーの凹み、ゴムパーツやプラスチックパーツの劣化なども所々目立ちます。

前オーナーがタッチアップペンで修復塗装したような痕跡も目立ちます。

とはいえ、十分普段使いの実用に耐え、毎日の通勤の足としても大いに働いてくれています。

購入時は走行距離が94000キロ程度でしたが、現在は10万キロを超えています。

 

何よりデザインが好きです。

内装、外装含めて自分好みで、ピカピカ光るメッキのバンパーに気分が高まります。

カーオーディオにはカセットプレイヤーも付いていて装備もレトロ。

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シートの座り心地はいまいちだし、室内や足元にも狭さを感じますし、燃費も最近のハイブリット車なんかに比べたら落ちます。(リッター13キロ~14キロ程度)

26年前の古い車なので、自動車税や自動車重量税も割増しとなって維持費もかかります。

しかし、そのようなウィークポイント以上のワクワクがあります。

古い車ですが古すぎないというのもポイント。

エアコンやキーレスエントリーも装備されていて、エアバックといった安全装備もごく必要最低限ですが備わっています。

にわか初級者の僕でも特別不便を感じずに十分扱えるレベルです。

憂鬱な朝の通勤時間も少しだけ楽しい時間になりますし、仕事上がりの帰路は楽しい至福の時間となります。

好きな車を運転すると元気が出ます。

 

そんなわけで、今後愛車についての細々をちょっとしたメモ書き程度に綴って行こうかなと思う次第です。

 

今回はそんなところで。