愛車メモ⑧ 雨漏り修理など

少し前の話になるのですが、先日、日産ディーラーで愛車(AK11マーチボレロ)の雨漏り修理をしてもらってきたことについてのご報告です。

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先月に自宅の駐車場で大雨に一晩曝したところ助手席の足元に水たまりが出来ていたので、オイル交換の際に状態を伝え、日を改めてちゃんと原因特定と修理をしてもらいました。

雨漏りの原因ですが、シャワーテストの結果、左サイドメンバーから伝ってプラグホール部への水の侵入ということで、修理対応としてはシーリング加工となりました。

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また、雨漏りの原因特定の際にブレーキスイッチラバーが大分すり減っていたことも分かったので、それもついでに交換してもらいました。

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費用は下記の通り。

整備(シャワーテスト)¥3,900 

修理(シーリング加工)¥1,000 

ブレーキスイッチラバー交換 ¥2,600 

部品代(ラバーストッパー)¥490

〔整備代合計〕¥8,789(消費税込み)

 

修理費用は思ったよりも安く済みました。

雨漏りは当初ウェザーストリップやドア窓周りのゴムパーツの経年劣化を疑っていましたが、違っていました。やはり、安易に素人判断せずにプロにちゃんと診てもらうのが正解ですね。その後大雨の中で長時間曝す機会がないため、本当に直っているのかは未確認ですが、そこは整備士さんを信頼します。また、ブレーキラバースイッチも、すり減って無くなったりするとブレーキランプが点灯したままになってしまったりするようなので、今回そうなる前に交換できて良かったです。

あまり関係ないかもしれないですが、今回修理に出して以降、燃費が改善しました。これまでリッター13キロ~14キロでしたが、14キロ~15キロと少し向上しています。理由としては季節的な問題(エアコンをほとんど使用せずに済むなど)、少し前にやってもらったオイル交換、オイル交換前の燃料添加剤の投入、9月から新しい職場になり通勤・帰宅時間が早まって渋滞に遭遇する率が低くなったこと等考えられますが、今回の修理でエンジンのプラグホールへの水の侵入が無くなったことが影響しているのかもしれません。

ともあれ、良かったです。

以上、愛車メモでした。

中央本線の211系セミクロスシート車を求めての鉄旅

 

 先日の10月11日(日)に、のんびりホリデーSuicaパスでちょっくら鉄旅してきました。

今年(2026年)10月から中央本線の高尾以西にE131系200番台が導入されたということで、状況を確認するという狙いはありましたが、綿密に計画を立てたりはせずに、ほとんど行き当たりばったりの鉄旅でした。また、今回は普通列車グリーン車や特急を使わずに、普通列車の普通車のみを利用すると決めていました。

まず、常磐線の普通列車で東京まで出て、東京からは中央線快速に乗り換え高尾まで行きました。車両はもちろん中央線でお馴染みのオレンジの帯の入ったE233系でグリーン車付きの編成。普通車は全てオールロングシート車です。

高尾では遭遇した211系の回送をカメラで収めてみたりしました。(当該車はオールロングシート編成だった)

 

留置線には今月から導入されたE131系200番台の姿も。

 

この後、大月に向かいます。

大月到着時はすでにお昼を過ぎていましたので、駅の時刻表で14:15高尾行きの普通列車に目星をつけてから「いろり庵きらく」という駅そば屋で昼食タイムです。

前回この店を利用した時はホーム側のテーブル席でしたが、今回は改札から出て駅の外側に回って店に入りましたので、ゆっくり食べることが出来ました。ホーム側の席は店員の「相席でのご協力をお願いします」という声が響くなど、前回利用した時のように慌ただしい様子でした。

 

大月駅の改札口前に表示されている時刻表には、列車の編成の車両数なども表示されているのですが、目星を付けた14:15発高尾行きは6両編成となっていました。これが211系かE131系200番台での運転ということになりますが、僕としては今後置き換えが進む211系セミクロスシート車を今のうちに乗っておこうという算段でした。

しかし、ここでトラブルが発生。お昼を終えると駅周辺を少し散策してから駅構内へと戻りましたが、ホームの電光表示板に14:15高尾行きの便がなかなか表示されません。発車する番線が変更になったのだろうかなどと、駅構内をうろうろしたりしていたのですが、14:15高尾行きの普通列車が運休になったとの構内アナウンスが聞こえてくるではありませんか。何でも甲府方面で線路内に人が立ち入ったトラブルがあり、その影響だったようです。

今回はツキがないと判断し、あっさり諦めて帰ることにしました。ここで次の上り列車で高尾方面に向かい、途中で高尾から大月方面に向かってくる211系の下り普通列車に乗り換えるなど、もう少し粘ってみても良かったのですが、元々乗れればいいや…くらいの気持ちで臨んだ鉄旅だったので、あまり執着はしませんでした。

大月駅にて
(手前211系は松本行きの下り普通列車)

ということで、その後の大月駅始発の14:47東京行きのE233系特別快速に乗ってそのまま帰ることにしました。その日グリーン車は利用しないつもりでしたが、またロングシートに揺られて東京まで引き返すと考えるとちょっとゲンナリしたので利用することにした次第。昨年中央線快速のグリーン車に乗りに行った際、帰路の上りは特急かいじ号を使ったので、今回はグリーン車を使ってみようと思ったところもあります。211系セミクロスシート車を諦めたことで(あまり執着はしなかったとは言え)心残りはありましたので、その気分を紛らわすべくビールも購入。

 

やはりグリーン車は快適です。ビールを飲みながら車窓をゆったり眺める贅沢を満喫できました。一度グリーン車に味をしめてしまうと後には引き返せませんな…。ともかく、ボックスシートにしろリクライニングシートにしろ、鉄道での「旅」はクロスシートあってのものとつくづく思います。

いなり寿司は大月駅の「いろり庵きらく」で購入したもの

相模湖駅では211系セミクロスシート車で運転されている小淵沢行きの下り普通列車と行き会いました。(やっぱり乗りたかったな……)

 

中央線快速のグリーン車ですが、昨年春に東京から大月まで乗った時はガラガラでしたが、今回は比較的乗車率が高かった気がします。前回と逆方向の上り列車で、さらに特別快速だったということもあったもしれませんが、特に八王子あたりからは乗車率が高くなってきて、東京に着く頃は2階席の7割近く席が埋まっているような状況でした。

東京からは常磐線の下り普通列車に乗りその日最後の行程。常磐線の普通列車(E531系)にはボックスシートがあるので、グリーン車の利用は控えてボックスシートに座って帰ることにしました。

すでに夕暮れ時になっていましたが、この時間帯の常磐線下り列車の車窓風景はなかなか良い趣があります。昔のように取手ー藤代のデッドセクションで車内の明かりが消えると夜行列車感が出てなお良いのですが、最近の車両は明かりが付いたままなのが鉄道趣味的には少し物足りなく感じたりします。

乗った列車は高萩まで行く便でそのまま終点まで行きたかったくらいですが、土浦到着で今回の鉄旅は終了。空はすでに真っ暗になっていました。

 

まとめです。

今回、E223系の中央線快速で東京から大月まで行ってみて、色々思うところがあったので綴ってみようかと思います。

中央本線に導入されたE131系200番台は4扉オールロングシート車ということで、鉄道ファンの間でも賛否両論がありました。最近の鉄道ファンはどちらかというと現状追認で鉄道事業者を支持する傾向が目立ち、Xでもボックスシートなどのクロスシートに拘るのは沿線の利用実態や一般利用者の利便性を考えてない鉄オタの趣味的独りよがりとの意見が目に付きました。今時の鉄道利用者は窮屈なボックスシートよりもロングシートの方を好むとの見方もあります。それを裏付けるかどうかは分かりませんが、最近導入されたJR東日本のE723系500番台以外にも、JR北海道の快速エアポート用の739系3000番台、5年前の2021年にJR東海が導入した315系など、各社とも足並みを揃えたように近年導入される普通列車用の車両(普通車)はオールロングシートというケースが目立ちます。

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今回、中央線快速E233系のロングシートで東京〜高尾~大月を乗り通してみて感じたのは、ロングシートは確かに足元の窮屈さは無いものの、やはり「旅」を感じるには味気なく役不足ということでした。中央本線の高尾以西の車窓風景とE233系普通車の都会的な内装のロングシート車内もミスマッチです。車窓風景を楽しむのためにはやはりボックスシートを含むクロスシート車が断然相応しいと感じました。ロングシートも空いていれば向かいの窓から風景が見えることは見えますが、どこか平面的に感じられ、向かい側に座る人が居ればその視界も干渉してきて、車窓を眺めるというインセンティブはどうしても弱まります。結果、下を向いてスマホを眺めたり目を閉じたりする時間が増えて、ロングシート車での移動は時間を持て余すだけの味気ない単なる移動時間になりがちです。これはなんと勿体無いことなのだろうと僕は思うのです。

近年のオールロングシート化の傾向は、ここ十数年の利用実態、乗り降りの効率性、乗車人数の最大化などを考慮された上での「最適解」なのでしょう。それは近年のコスパ・タイパといった経済性や効率性を最優先する社会のトレンドとも重なります。また、震災やコロナ禍を経て、なおも毎年のように日本のどこかが大災害に見舞われ、鉄道インフラも大きな被害を受けるような状況で、さらにここ数年は激しい物価高にも見舞われ、そんな中でもJR各社の運賃もほとんど据え置かれていると言えます。以上のことを考慮すればやむを得ない面はあると理解します。しかし、それでも完全に経済性や効率性に振り切れてしまうのではなく、わずかでも良いので遊びが欲しかったところです。

クロスシートであれば、車窓風景もよりよく眺められるし、少し旅気分も出てきて駅弁でも食べたりすることを許容するような雰囲気も生じてきます。ここに情緒的な余白と豊かさが生まれるように思います。これを「旅情」と呼ぶとすれば、旅情を鉄道趣味者特有のノスタルジ-や鉄道事業の厳しい現実を知らない独りよがりな趣味的思い入れと切り捨てて良いのでしょうか。人を大量に捌くための効率性に特化した4扉オールロングシートの通勤型の車内空間はいかにも無味乾燥で、それは都市的な貧しさの表われと言えます。常時混雑が激しい都心部ならいざ知らず、ローカル線や中央本線の高尾以西のように都心部から離れた所で運行される列車までそのような車両が導入されるのは少々行き過ぎのようにも思えます。このような経済性や効率性を突き詰めた先にあるのは、一切の余白を許さない画一的な貧しさではないでしょうか。

ボロい国鉄時代の車両より最新型の車両の方が乗り心地も良く、一般の利用者にとっては良いに決まっているだろうという意見も目にしますが、これは揺れや騒音がどれだけ軽減されているかなどという乗り心地の問題ではなく、車内空間の造りそのものが人間の心理や行動に及ぼす影響についての問題なのです。鉄道車両のロングシート化を問題視するのはクロスシート厨の鉄オタくらいで、一般の鉄道利用者にとってはどうでも良いことなのでしょうか。僕はそうは思えません。はっきり意識はしなくても無意識のレベルで受けている影響というものもあるはずです。

鉄道で旅気分を味わいたければ、追加課金して特急や普通列車グリーン車、観光列車などを利用すれば良いという意見も目にします。18きっぷ利用者を乞食呼ばわりするするような輩もいます。このような不寛容なマインドが蔓延した世知辛い世の中になったものだとつくづく残念でなりません。

今後人口減少によって鉄道利用者も減っていくという厳しい見通しも示されていますが、そんな時代であればこそ、例えば今回中央本線に導入されたE131系200番台であれば、片側の車端部のみにボックスシートを設けるなど、乗車定員や乗り降りの効率性を考慮しつつも、片隅にでも良いので、普通列車でも「旅」が十分楽しめるという可能性の余地を残しておいても良かったのではないでしょうか。

また、近年ボックスシートは窮屈さから敬遠されているという話も聞きますが、僕が思うにボックスシートが窮屈というより「狭いボックスシートに詰め込まれること」が窮屈ということなのではないかと思うのです。ボックスシートを設けるなら、大の大人が対面しても膝が触れない程度に余裕を持たせて欲しいものだし、昭和の頃より人々のプライベートスペースに対しての感覚もより敏感になっているだろうから、尚更スペースに余裕を持たせても良いと思う次第です。理想言えば最低12系客車のボックスシートくらいのピッチ(1580mm)は欲しいところでしょうか。

 

以上、僭越ながら一利用者、一鉄道趣味者として、近年のオールロングシート化の傾向について思うところを述べさせていただきました。

僕のような一鉄道趣味者が何かを述べたところで現状が変わるとは思えませんが、鉄道趣味者という存在やその発言に何か意義があるとしたら、鉄道事業者とも一般の利用者とも異なる視点や見解を持つという部分かと思います。一般の利用者がほとんど意識しない部分に目を向けて、時には問題提起し、時には面白さや意味を見出すというのが意義と思えるところです。もちろん僕は「意義」があるから鉄道趣味をやっているわけではないのですが……。

何にせよリスペクトは必要だし、鉄道事業の現実(厳しさなど)への理解も必要でしょうけど、鉄道事業者が行うことをただ無批判に支持するというのも余りに芸がないと思うので、今後も思うところがあれば私見を述べさせていただく次第です。

今回はそんなところで。

 

興味がある方はこちらの記事もどうぞ。

https://shinop100.hatenadiary.jp/entry/2018/12/02/180919 

 

愛車メモ⑦ ワイパーブレード交換

愛車メモが続きますが、今日はワイパーブレードの交換をしました。自分でも出来そうなので自分で交換作業を行いました。ゴムだけの交換はこれまでもやったことはありますが、ブレード(本体)の交換は今回が初めてです。費用はワイパーブレード3個分の5340円のみです。

AQ.グラファイトコーティングワイパー U53G 呼番11(フロント運転席側) ¥2,180

AQ.グラファイトコーティングワイパー U45G 呼番7(フロント助手席側)¥1,580

AQ.グラファイトコーティングワイパー U45G 呼番7(リア)¥1,580

〔株式会社オートバックスセブン〕

交換部分はフロント左右とリアの3か所です。パッケージの説明書に沿ってすぐに交換出来ました。と言いつつ、やはり初めての慣れない作業なので取付の向きを間違えたりして少し悩む時間もありましたが、何も破損させることなく無事に完了させられました。作業時間は10分程度で、次回からはもう少し早くできるはずです。

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交換してから気づきましたが、このような交換作業を自分でやる場合、取り外した使用済みのパーツは自分で責任をもって廃棄する必要がありますね。ワイパーは金属、プラスチック、ゴムが使用されているので、それらを分別して自治体のルールにのっとって廃棄しなければなりません。ディーラーやカー用品店でやってもらえればその辺の手間も不要になります。

以上、愛車メモでした。

愛車メモ⑥ オイル交換

 

AK11マーチボレロ(2000年式)

本日、ニッサンのディーラーで愛車(AK11マーチボレロ:2000年式)のエンジンオイルとオイルフィルターの交換をしてもらいました。

エンジンオイル 3.20L /オイルエレメント 1個 /オイルワッシャードレン 1個

費用ですが、前回の12ヶ月点検の際にサービスパックに加入したので今回はゼロです。

交換前のオイルの状態

交換後のオイルの状態

画像は交換前(上)と交換後(下)のオイルの状態です。交換の前後では明らかに色が異なり、けっこう汚れていたことが分かります。

前回の交換は3月にエンジンのオイル漏れを修理してもらった際にやっているので、それから6ヶ月少し経ち、その間に3500キロ程度走ったでしょうか。

エンジンオイルも新しくなり、心なしか…というよりも、明らかに加速が滑らかになりました。エンジンを出来るだけ良い状態に維持するためには定期的な交換が必須で、一般的に6ヶ月か5000キロ程度で交換時期だと言われます。12ヶ月か10000キロくらいでも別に問題ないという話も聞きますが、何せ古い車なのでセオリー通り半年に1回くらいは交換しておこうと考えています。

オイル交換の件以外には、一昨日まで続いていた長雨で一つ不具合が判明しました。駐車場で一晩大雨の中に曝していたところ、助手席の足元に水溜まりができていました。おそらく、どこからか雨水が侵入してそこに溜まったのかと思います。古い車なので、ウェザーストリップなどのゴムパーツもかなり劣化が進んでいるので、その辺りが怪しいと睨んでいます。

ということで、来週またディーラーへ行って原因を詳しく診てもらうことになりました。仮にゴムパーツの交換が必要になっても、古い車であるため交換用のパーツを確保できる保証は無いそうですが、原因は分かった方が良いので診てもらいます。

ともかく、旧い車は一筋縄では行きませんね。

 

以上、愛車メモでした。

愛車メモ⑤ 燃料添加剤

来月、愛車(AK11マーチボレロ)のオイル交換をしてもらう予定なので、その前に燃料タンクに燃料添加剤を入れることにしました。

燃料添加剤と言えばコレ。

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ワコーズ F102 フューエルワン 150ml ¥2,200

オートバックスで購入。燃焼室やバルブやインジェクターに堆積した汚れの除去、燃料の酸化やタンク腐食の抑制、潤滑性の向上などといった効果があるとのことです。

昨年(2025年)末に一度入れてみたのですが、正直なところ、それで燃費が目に見えて向上するなどの効果を実感する事はできませんでした。しかし、洗浄効果自体は確実にあるようなので、1年に 一度くらいオイルを交換する前のタイミングで入れておこうと思っています。

ちなみに今日はガソリンも入れてきたのですが、今回の給油量と前回からの走行距離から燃費は14.2km/Lくらいでした。エアコンも使用している中でこれはなかなか優秀なのですが、燃料添加剤によっては燃費はさらに向上するのでしょうか。次回の給油時に少し期待。

以上、愛車メモでした。

2006年北陸一人旅の思い出

今から20年前の2006年の春に北陸で一人旅をしたことがありました。今回はその時の思い出話を書こうと思います。

当時、私生活でいろいろあり、大変苦しい時期でした。旅をすることで何とか人生を好転させる良いきっかけを掴みたかったのだと思います。また、この頃一時的に鉄道へ想いが再燃したりしたのですが、鉄道への想いというのは僕にとって少年時代への郷愁と結びついていて、辛い時に度々立ち現れるものであった気がします。

何故場所を北陸にしたのかと言うといくつか理由がありますが、まず一つに富山に学生時代にとても仲の良かった友人が暮らしていて、久々に会おうという話があったからです。もう一つは、北陸はまだ行ったことがなく、子どもの頃に図鑑でよく目にした雷鳥号、はくたか号、北越号、加越号といった北陸本線を走る特急列車にいつか乗ってみたいと思っていたことを思い出したことがあります。さらには、北陸の有名な温泉地へ行ってゆっくり温泉に浸かってみたかったというのもありました。そういうことで、北陸への旅を計画したわけです。

 

20年前の話なので記憶も所々曖昧なのですが、行きは旅費を抑えるために鉄道は使わずに夜行バスで富山まで行ったかと思います。先述の学生時代の友人は当時のJR魚津駅近くに住んでいて、富山駅に着いた日の朝に駅まで車で迎えに来てくれて、そのまま一緒に富山の名所を巡ったりしました。その道中、黒部峡谷鉄道のトロッコ列車に乗ったりしましたが、これは僕のたってのリクエストでした。

黒部峡谷鉄道のトロッコ列車(2006年)

トロッコ列車から望む黒部ダム(2006年)

夕方には魚津駅近くの居酒屋へ行き、夜遅くまでいろいろ語り合ったりもしました。その夜は一旦友人とは別れて宇奈月温泉のビジネスホテルに泊まりました。

友人は次の日に金沢の方を案内してくれるつもりだったらしいのですが、僕はすでに新潟の月岡温泉に行くと決めていて、宿も予約していたので、金沢の案内はまたの機会ということになりました。

何故、新潟へ行こうと思ったのかと言えば、当時好きだったタレントが新潟出身だったからです。それだけの理由。月岡温泉にした理由も特段深いものはなく、新潟の温泉地について調べていて偶々目に付いたからです。

ということで、次の日ホテルをチェックアウトすると、月岡温泉に向かうべくJRの魚津駅に向かいました。この時も友人がビジネスホテルまでわざわざ迎えに来てくれて魚津駅まで送ってくれたのでした。

 

友人とは魚津駅で別れ、そこから鉄道で新潟の方へ向かったのですが、この時に乗った列車が特急北越号でした。北陸本線を走る特急列車に乗るというのは旅の目的の一つで、2006年当時は北陸新幹線開業前で、北陸本線は北越号、はくたか号、サンダーバード号、しらさぎ号など特急列車が頻繁に往来する全国有数の特急街道でした。

魚津駅ではご当地の駅弁でも買って移動の列車内で食べるつもりでいましたが、生憎駅弁を売っているような店は見つけられませんでした。魚津駅は特急の停車駅だったので、当然駅構内で駅弁くらい売られているものだと見込んでいたのですが、甘かったです。仕方なく駅近くのコンビニでお昼を調達することにしました。せっかく富山まで来てコンビニ飯かと味気ない思いでしたが、コンビニでは鱒寿司の握りが売られたりしていて、そこはコンビニといえども地域色があるのだと多少の気休めにはなりました。

魚津から乗った列車は1053Mの特急北越3号新潟行きです。10:36金沢始発で、魚津は11:34発、終点の新潟には14:19着というダイヤでした。

特急北越3号ダイヤ(金沢‐直江津)(2006年)
「全国小型時刻表」(株)交通新聞社 2006年2月1日 518頁

特急北越3号ダイヤ(直江津‐新潟)(2006年)
「全国小型時刻表」(株)交通新聞社 2006年2月1日 630頁

使用車両は485系で国鉄時代から変わらずも、塗装はJR時代になってから施された白の地に青とターコイズブルーの帯という所謂「上沼垂色」で、国鉄時代とは異なるもの。

出典:ミツキ-2368, CC BY-SA 3.0 <https://creativecommons.org/licenses/by-sa/3.0>, via Wikimedia Commons

しかし、子どもの頃に散々憧れた国鉄時代から変わらぬ前面形状を見ると大いに気持ちが高まったものです。この旅ではデジタルビデオカメラを持参していて、道中時々カメラを回していたりしたのですが、残念ながらその時の北越号は映像にも画像にも残しませんでした。今思えば画像なり映像なり撮っておくべきだったと後悔しきりです。

月岡までは北越3号で新津まで行き、そこから羽越本線の普通列車に乗り換えるという行程だったかと思います。北越3号の魚津から新津までの走行距離は213.4㎞で、所要時間は2時間30分でした。自由席に座りましたが、座席が随分と年季が入っているように感じられたのを覚えています。タバコの焦げ跡があるような箇所もあったような……。JR時代になってから、国鉄時代に作られた特急形車両のアコモデーションはリニューアルされたりしていたようですが、僕の乗った自由席車のインテリアは国鉄時代からあまり変わっていなかったような印象でした。僕個人としてははその方がノスタルジーを感じられて嬉しかったのですが。

魚津から乗ってしばらく車内は比較的空いていた気がします。途中からはけっこう乗客も増え、幹線特急らしい活気ある雰囲気を感じた記憶があります。お昼時には魚津駅前のコンビニで買った鱒寿司の握りを食べたりしましたが、駅弁ではないことが少し悔やまれました。車内販売で駅弁を買うことも可能だったとは思うのですが、何せ不慣れな初めての独り旅で、しかも社会不安障害気味の僕にとって、車内販売員を呼び止めて駅弁を買うなどという行動は心理的なハードルが高すぎたのです。

北越号に乗車していた2時間30分はあっという間だった印象です。列車内ではひたすら車窓を眺めていただけだと思うのですが、初めて見る北陸の車窓風景に飽きることがなかったのでしょう。

特急北越3号の車窓から望む北アルプス(2006年)

新津からは羽越本線の普通列車に乗り換えて月岡まで行きましたが、何故かこのあたりは記憶がほとんどありません。羽越本線は電化されていますが、新津-新発田(しばた)間は列車の本数も少なく、使用されていた車両はディーゼル車だったはずで、この時乗った車両は、2026年現在では希少種になったキハ40であったような気がします。

 

月岡駅からは記憶がはっきりしてきます。月岡駅はいかにもローカル線の駅といった佇まいの小駅で、周囲に少し民家が立ち並ぶ以外は水田が広がるばかりのほとんど何もない所でした。この時乗ってきた普通列車の月岡到着時刻に接続して月岡温泉まで行くバスが出ていたのですが、もたもたしているうちにバスが出発してしまったことを憶えています。バスは1時間に1本くらいは出ているだろうと軽く考えてのんびり構えていたところもあったのですが、以後バスは出ていなかったか、次の便までかなり時間が空いていたかと思います。

タクシーを使うという手も考えましたが、あいにく駅前にタクシーが1台も停まっていなかったので、歩くことにしました。事前にホームページで確認していた月岡温泉までの案内マップから、20分くらい歩けば着くだろうと見込んでいましたが、これも甘かったですね。50分ほどかかったかと思います。4㎞弱程度の大した距離でもなかったのですが、荷物の旅行カバンを抱えながらの歩きはけっこうハードでした。ただ、この時は季節的には暖かくなり始めたくらいの頃だったし、悪天候にも見舞われることもなかったので、その点は今思えばラッキーだったと思います。

ちなみに2026年現在は、月岡駅から月岡温泉行きのバスは出ていないようで、月岡温泉に行くには新潟駅や新発田駅から出ている月岡温泉直通のシャトルバスの利用が無難でしょう。

月岡駅から温泉街まで県道(300号)脇の歩道をとぼとぼと歩いて行ったのですが、最初は道路の両側に水田が広がるばかりで、この先本当に温泉街があるのかかなり不安でした。月岡温泉の温泉街は、月岡駅から向かって山間の手前の平地に位置していますが、温泉街は山間部にあるというイメージがあったため、遠目ではその先に温泉街があるような風景には見えなかったのです。しかし、しばらく歩くと、ちょっとした集落に差し掛かり、ぼちぼち宿泊施設の看板などが目に付くようになり、県道の先には温泉街のホテルや旅館などが立ち並ぶ姿が見えてきました。

 

月岡温泉で泊まった宿は「蘭亭」というこじんまりした温泉旅館でした。ここを選んだ理由はインターネットで月岡温泉の宿をいろいろ調べていたときに、家庭的な暖かい手作り感が感じられて、ここでなら気負うことなくゆったり過ごせそうな気がしたからです。ただ、閑散期だったためか予約の電話をかけた時は1軒も予約が入っていなかったようで、1名での予約はすんなり受け付けてもらえませんでした。営業コストととの兼ね合いで、ある程度の宿泊人数を確保する必要があったのでしょう。そのため一旦は保留になったのですが、その後数名のグループ客の予約が入ったとのことで蘭亭の方から連絡をくれて予約が成立しました。

そんな経緯もあり、一抹の不安は拭えませんでしたが、蘭亭に到着すると女将さんをはじめ従業員の方は感じ良く迎えてくれたので、ここを選んで正解だったと胸を撫で下ろしました。蘭亭は最初に思い描いていた通りの家庭的で暖かい雰囲気の風情ある旅館で、それはこの旅で一番の幸運でした。

新潟の月岡温泉は全国有数の硫黄泉で、部屋に案内されるときも、女将さんから強い硫黄分の影響で部屋のテレビが勝手についたり消えたりすることがあるけど幽霊の仕業じゃないです……などといった説明があったことを覚えています。実際に宿泊中テレビが勝手についたり消えたりする現象が起きました。

その日宿泊していた男性客は僕くらいだったようで、男湯の露天風呂は貸し切り状態で、誰にも気兼ねなくゆっくり湯を満喫することができました。湯は源泉かけ流しで、女将さんの説明通り硫黄分を多く含んだいかにも温泉らしい良い湯で大満足でした。

夕食も海の幸と山の幸をふんだんに使用した料理でとても美味しかったです。

この時お酒もかなり飲みました。瓶ビールを3~4本くらい飲んで、それ以外に焼酎や日本酒もけっこう飲んだのではないでしょうか。今はお酒は控えていますが、当時はかなり飲んでいました。部屋までお酒や料理を運んでくれた若い仲居さんからもハイペースな飲みっぷりを心配されるほどで、ふと太宰治の『八十八夜』という短編小説を思い出したりもしていました。もっとも僕の場合は『八十八夜』の笠井一さんのように、げろを吐くまで酔い潰れることもなく何事も起きないのですが……。食事が終わると特にすることも無いので、また露天風呂に浸かりに行ったりして、その夜は大人しく布団に入ったかと思います。

 

次の日の朝のことはどうしても思い出せないのですが、多分もう一度くらい露天風呂に浸かったかと思います。朝食がどうだったのかは思い出せません。

蘭亭をチェックアウトしたのは朝の10時くらいになるのでしょうか。お見送りをしてくれた女将さんから、帰りの旅のお供にと名物の月岡饅頭を手渡されたことを覚えています。

その後は他の観光地に寄ることもなくまっすぐ帰路に就きました。蘭亭の女将さんから教えてもらった月岡温泉から出ているシャトルバスに乗って、白新線の豊栄(とよさか)駅に向かったかと思います。2006年当時は月岡温泉から豊栄駅までのシャトルバスが出ていました。(2026年8月現在は休止中のようです)

 

その後、豊栄から普通列車で新潟まで行き、上越新幹線に乗りかえたかと思います。この辺りも記憶が定かでなく、長岡あたりで乗りかえたような気もします。上越新幹線に乗るのは初めてだったし、新幹線というものに乗ること自体がかなり久しぶりだったのですが、そのことに関しては特別な感慨は抱かなかったように思います。新幹線の車内はけっこう混んでいて落ち着かなかった記憶があります。また、この時は3列シートの窓側席に座っていたのですが、一度トイレに立った際に廊下側に座っていた年配の会社員らしき男性に舌打ちされたりと、新幹線内での時間はあまり愉快ではなかった印象です。

自宅の最寄り駅である土浦に着いた頃は夕方近くになっていたでしょうか。上野から土浦までの電車内ではすぐ寝落ちして居眠りをしていたのですが、土浦に着いたとき首がかなり痛くなっていました。それまで電車で居眠りしても寝違えるようなことは無かったので、体の違和感を少し意識したことを覚えています。実はこの旅の1ヶ月後に再生不良性貧血という病気で入院する羽目になるのですが、旅をしていた時点でけっこう病に蝕まれていたようで、その影響もあった気がします。旅の最中にも、それまで経験したことのないようなめまいや息切れを感じることがあって気にはなっていたのですが、その時はまさか再生不良性貧血などという病気に罹っているとは夢にも思わなかったです。

 

こうして、ほろ苦さと若干の体への不安を抱えつつ北陸一人旅を終えたのでした。

 

2005年から2006年にかけては個人的にとても苦しい時期でした。当時は心療内科に通ったりもしていて、メンタル面の不調で仕事を辞めたりもするなど辛いライフイベントが重なった時期でした。旅の途中に撮った画像も色合いがどんよりと暗めで、これは無論使用していたカメラのせいでもあるのですが、僕には当時の自分の心象風景が表れているようにも感じます。

そのような「人生お先真っ暗」といった心持ちの中、なんとか良いきっかけを掴みたいと思って計画したのが北陸一人旅でした。この旅で何か良いきっかけを掴めたかと言えば、何も掴めなかったというのが正直なところです。旅が終われば、相も変らぬどうしようもない自分自身と日常に向き合う日々が待っているだけでした。さらには、すでに再生不良性貧血という重病(2006年当時は難病指定されていた)にも冒され、1か月後には入院するという事態になりました。ちなみに、その後の入院生活は1ヶ月半に及び、退院後も通院での服薬治療が続き、服薬が必要ないレベルまで寛解するのに1年以上かかりました。

そんなどん底の時期に行った北陸一人旅でしたが、僕にとっては初めて独力で計画して行った旅で、今当時のことを思い出してみると「いい旅だったなあ」という感慨が湧いてくるのです。追憶は美化されがちということを差し引いても、学生時代の友人と会っていろいろ語り合ったり、子どもの頃にあこがれた黒部峡谷鉄道のトロッコ列車や北陸特急に乗ったり、暖かい雰囲気の趣ある温泉旅館で温泉をゆったり満喫出来たり、なかなかいい旅だったと思います。社会不安障害気味だったナイーブな僕にとってそれは大冒険でもあり、単なる観光という以上の大きな体験だったことは間違いありません。

あれから20年経ちます。自身の体感としてはつい最近の出来事にも思えるのですが、この間に無くなってしまったものや変わってしまったものもあり、20年という歳月の重みも感じます。月岡温泉で宿泊した「蘭亭」はもう廃業して無くなっているようです。いつ頃まで営業されていたなど詳細は不明ですが、お世話になった女将さんも当時すでにけっこうご高齢だったと思うので、今も健在なのかは分かりません。

魚津から新津まで乗った特急北越号も、その後の北陸新幹線開業によって廃止されてしまいました。北越号で使用されていた国鉄特急形の485系もこの20年の間に引退済みで、北越号も走っていた北陸本線の敦賀‐直江津間(北越号は金沢-直江津間の運転)は現在JRから切り離され、ハピラインふくい、IRいしかわ鉄道、あいの風とやま鉄道、えちごトキめき鉄道といった第三セクターに分割されています。

今思えばこの時に鉄道趣味に目覚めていたら、青春18きっぷなどを使ってもっといろんなところを巡っただろうと思うし、それによって楽しみも広がったと思います。人生も少しは変わったかもしれません。ただ、この時の僕の目は全く違うものに向けられていて、旅が終われば鉄道へのノスタルジックな想いもすぐに薄れてしまいました。人生そんなものかもしれません。人にはその時期で心を動かされる旬の物事というものがあるのです。

当時僕は30代にさしかかって間もない頃でしたが、やはり若かったと思います。いろいろ健康上の問題や精神的な不安を抱えつつも北陸を一人旅しようと思い立ち、それを実際に計画して行動に移したわけで、我ながらよくやったと思います。

また、当時は20年後なんてまだまだ先の未来に思えたものです。今当たり前のように存在しているものや身近に居る人達が、いつか無くなったり居なくなったするなどということも切実な実感を伴って意識することはありませんでした。すでに10代や20代のような若者とは言えない年頃になっていましたが、未だモラトリアムの真っ只中で、過去を振り返るより将来を案じることの方が多かった気がします。まだ若く将来に目を向けるからこその「お先真っ暗」という心持ちだったのかもしれません。

ここ数年は、鉄道を始め、いろいろなものを通して、今当たり前にあるものもいつかは無くなるということを実感を伴って意識するようになりました。そのため、触れられるものは触れておきたいし、一人旅というものも出来るうちにまたやっておきたいと思う今日この頃です。鉄道や車を使って日帰りで遠出するくらいなら今もやっていますが、泊まりがけの旅行というのはしばらくしていません。2006年に北陸を旅した時に会った学生時代の友人ともあれ以来直接会っていなかったりするので、会えるうちに会っておきたいですね。

次に北陸を旅するとしたら、前回行かなかった金沢方面にも行ってみたいでしょうか。実は二十歳くらいまで本籍が石川県にあったのですが、行ったことは一度もないのです。石川県は一昨年の能登半島地震のこともあるし、どんな所なのかずっと気になっていたので、一度訪れてみたいところです。

 

以上、長々と書き連ねてきましたが、2006年北陸一人旅の思い出話はこの辺で終わりにしようと思います。

愛車メモ④ ディストリビューターとドライブシャフトの交換

本日、日産ディーラーでディストリビューターとドライブシャフト(フロント左)の交換をしてもらった愛車(AK11マーチボレロ)を引き取ってきました。

帰りに自宅までの数キロを運転してきた限りでは、交換前に見られたディストリビューターのオイル滲みとオイル臭はしなくなっていました。

ドライブシャフトの方は未確認です。

どちらも新品ではなくリビルト品への交換で、費用は部品代と技術料の合計で¥94,886でした。

下画像はディストリビューターの交換前(上)と交換後(下)のもの。

ディストリビューター(交換前)

ディストリビューター(交換後)

ディストリビューターはアッセンブリー交換だったので、オイル漏れの心配はもう無いでしょう。

 

以上。