乗り鉄再開第1弾:ときわ路パスで鉄旅①関東鉄道常総線の旅

少し前の話になりますが、久しぶりに乗り鉄という名の不要不急の鉄道利用をしてきました。

昨年の5月以来でしょうか。

コロナも余り話題にならなくなり、ほぼ終息かという雰囲気で、そろそろ良いかなと思い、再開することにしました。

 

いずれ全国の鉄道路線をコンプリートしたいという野望を抱いていますが、先ずは足元と考え、地元茨城の鉄道の制覇を目論んでみました。

灯台下暗しな僕はJR常磐線つくばエクスプレス以外の我が地元茨城の鉄道はほとんど利用したことがなく、そこで今回はときわ路パスを使って、茨城県内の鉄道を乗り通すことにした次第。

 

ときわ路パスは、指定エリア内の茨城県を通る鉄道の普通・快速列車全てが乗り放題の企画フリー切符。

購入は指定エリア内のJR駅のみどりの窓口指定席券売機で可能です。

値段は大人2180円、子ども550円。(2023年3月25日現在)

発売期間は利用期間はその年によってまちまちなようですが、冬季、夏季、秋季と三期間を設定して毎年販売しているようです。

今回僕が利用したのは2023年の冬季のパスで、発売期間、利用期間はそれぞれ以下のようになっていました。

発売期間:2023年1月11日〜2023年3月26日

利用期間:2023年2月11日〜2023年3月26日の土休日

ときわ路パス
※2023年4月22日現在販売されていません

乗車できる路線と区間をまとめると以下の通り。(2023年3月25日現在)

JR常磐線:取手-大津港

JR水戸線:水戸-小田林

関東鉄道常総線:取手-下館

関東鉄道竜ケ崎線:佐貫(竜ヶ崎市)-竜ヶ崎

真岡鐡道:下館-茂木

ひたちなか海浜鉄道湊線:勝田-阿字ヶ浦

鹿島臨海鉄道大洗鹿島線:水戸-鹿島サッカースタジアム

JR鹿島線潮来鹿島サッカースタジアム

JR水郡線:水戸-常陸太田、下野宮

(どういうわけか、つくばエクスプレスは入っていない)

 

パスの利用は一日限り有効で、当初は1日で全エリア制覇と考えていましたが少し無理があり、結果的に今回は茨城県の県南、県西エリアを中心に未乗だった関東鉄道と真岡鐡道に的を絞ることになりました。

真岡鐡道では「SLもおか」にも乗りましたが、まずは前半のハイライト、関東鉄道常総線の旅についてレポートしたいと思います。

 

当日の3月25日(土)は生憎の雨で肌寒い日でした。

スタートはJR常磐線の荒川沖。

取手まで普通列車で向かい、取手からは関東鉄道常総線で下館へ向かいます。

茨城県民になってかなり経ちますが、関東鉄道常総線は初めての利用でした。

もちろん、関東鉄道常総線の存在は知っていましたし、車で出かけた際に線路の踏切を横切るようなこともあったのですが、家から少し離れていることもあり、なかなか利用する機会が無かったのです。

 

関東鉄道常総線茨城県取手市取手駅から筑西市下館駅を結ぶ路線で、路線総延長は51.1キロ、全線非電化でディーゼル車で運行されています。

今回取手から乗った列車は8:12発下館行きの2両編成。

案内表示板では水海道で乗り換えと案内されていました。

水海道を境に取手側と下館側とで系統が分かれているようで、水海道発の下館行きと接続しているということのようです。

取手から下館へ直行する便もありますが、本数は多くなく、取手発の便は大方水海道止まりとなっています。

ディーゼル車に乗るのはかなり久しぶりで、十数年ぶりくらいだったかもしれません。

乗り込むべく車両に近づくと独特の排気ガスの臭いが鼻を突き、電車との相違を感じました。

ワンマン運転で先頭車両の運転室後ろ上部の案内表示板には、路線バスと同じように、乗る駅から到着の駅までの料金が表示されるようになっていて、印象としては電車と路線バスの中間といったところでしょうか。

 

定刻通り8:12に列車は取手を出発しました。

やはり走行音も電車とは趣を異にします。

線路のジョイント音の他、ディーゼルエンジンの唸るエンジン音がけたたましく車内に響き渡ります。

そして、やはりあの独特の排気臭。

鉄道が好きな僕でも決して愉快なものではないのですが、どこか懐かしい気分になります。

 

列車は取手を出発してしばらくは街中を走ります。

駅に停車するごとに乗客も拾っていき、立ち客も少し見られるくらいにはなりました。

客層は高校生、中学生、高齢者といったところでしょうか。

若い女性の姿も見られます。

僕のように、ときわ路パスを持った鉄道好きと思われるような方もけっこう居て、その中にはわいわいはしゃぐ小学生数人のグループも見られました。

それでも、乗客の大半はあくまで移動手段として鉄道を利用しているようで、改めて鉄道には地域の足としての役割があるのだと認識しました。

 

車窓風景は、水海道が近づくにつれて住宅やビルの数が減っていき、田畑が目に付くようになり、段々と牧歌的になっていきます。

関東鉄道常総線が走る茨城県の県南、県西のエリアは四方八方ひたすら平地が広がり、北西の方角に薄っすら筑波山を望めるくらいで、だだっ広い平野の真ん中を鉄路が真っすぐ突っ切って行くような趣で、なかなか壮観な車窓風景が楽しめます。

 

取手を出て三十分程度でしょうか、小絹を過ぎて関東鉄道常総線車両基地を越えれば水海道に到着です。

この辺りまでくるとかなり田んぼが広がる風景になっていますが、水海道は常総市中心市で、駅周辺はそこそこの賑わいが感じらる街並みです。

 

ここで乗り換えです。

乗客はそのまま駅の外へ出ていく人と、下館行きに乗り換える人と半々といったところ。

乗り換えの列車はホームの向かいで停まっていました。

ここからは、利用者も少なくなり、列車も取手からの直通便以外は1両編成となり、便もぐっと数が減ります。

また、線路も複線から単線になり、無人駅も増え、いよいよ本格的なローカル線の趣が出てきます。

 

車内には常に十数人程度は乗客が居たでしょうか。

無人駅でも一人二人と乗客の乗り降りがあります。

ある駅では、中学生らしき男女カップルが列車を降りて、相合傘で歩いていく後ろ姿も……。

(うらやましいぞ)

無人駅では車両の一番前の乗降扉のみが開閉され、乗客はそこから乗り降りします。

乗客が降りる際は運転手に切符を見せたりしていました。

また、PASMOSuicaなどにも対応しているようで、無人駅の改札口付近にカードリーダーが設置されたりしていました。

有人駅では車両の全扉が開き、検札は駅の改札口で駅員が行います。

 

当日は雨でしたが駅によってはホームに沿って丁度咲き頃の桜の木が連っていて、カメラを向けている人もいました。

僕は席を立ち、車両最後尾まで行って、離れ行く景色を楽しむことにしました。

単線の線路はカーブも少なくどこまでも真っ直ぐ続いています。

列車は快調に走り小駅をこまめに停車しては過ぎていき、県西エリアの下妻辺りまでくると、車窓風景もかなりローカルな趣。

それでも、東京に比較的近い茨城県県南から県西地域はそれなりに人も住んでいるようで、意外に線路に沿って家々が立ち並ぶような光景も見られます。

常総市下妻市方面はたまに車で通ったりすることもあるのですが、道路を走る車から見る景色と線路を走る列車から眺める風景では印象が大分異なり、ここら辺の土地の別の顔を見るようで何だか新鮮でした。

 

下妻を出ると、そろそろ関東鉄道常総線の旅も終盤に差し掛かってきます。

大田郷を出て終点の下館が近くなるにつれ、再び建物も増えてきて風景も街らしくなってきます。

さすがは県西の中心地といったところか。

JR水戸線の線路も見えてきます。

下館の街並みとJR水戸線の線路を見ると、終点に来たなという感慨が湧き上がってきました。

水海道から下館は取手から水海道より距離もあり時間も要し51分。

こうして取手から合計1時間24分に及ぶ51.1キロの関東鉄道常総線の旅が終わりました。

 

ホームに降りるとJR水戸線のホームを挟み、次の目的である真岡鐡道のホームが見えました。

下館駅はけっこう大きな駅です。

JR水戸線下館駅のホームを南と北で挟み、関東鉄道常総線(南側)と真岡鐡道(北側)の始発駅のホームがあるという位置関係と構造となっています。

今回関東鉄道常総線に初めて乗りましたが、鉄道のダイナミズムを改めて感じた次第です。

水海道から下館方面は、全くのローカル線ですが、それでも道路を車で走る時とは全く違ったダイナミックな趣がありました。

鉄道の通っていない自治体町が「陸の孤島」などと言われたりするのですが、モータリゼーションが発達した現代でも鉄路は輸送の動脈になり得るのです。

地方の鉄道をめぐる現状は厳しく実態はそうなっていなくても、そうなる可能性を常に秘めたものなのです。

そんな気がしました。

 

正直なところ、地元茨城県の鉄道はあまり注目していなかったのですが、今回関東鉄道常総線に乗ってみて、また一つ地元の魅力と楽しみを見つけられた気がします。

ディスカバー茨城ですね。

 

そして、関東鉄道常総線が地元民の足として機能していることを感じられたのが嬉しかったです。

また、関東鉄道常総線では関鉄ビール列車と言った企画も積極的に行っているのも嬉しいです。

次はこんな企画列車にもチャレンジしてみたいですね。

 

以上、関東鉄道常総線の乗車レポートでした。

次回は真岡鐵道の乗車レポートです。

久々の乗り鉄「『特急ときわ号』に乗って『急行ときわ号』を忍ぶ」こどもの日によせて

久しぶりの記事です。

 

この二年間はコロナ禍でひたすら自粛生活を送っていました。

家と職場を行き来するだけの変わり映えのない日々で、記事を書くモチベーションもすっかり下がっていましたが、少しコロナが落ち着く気配が見えてきたということで、昨日二年半ぶりくらいに乗り鉄をしてきたので、そのことを記事にしてみようかと思います。

 

乗り鉄と言っても土浦から上野まで行って帰ってきただけのささやかな行程で、今回の目的は特急ときわ号に乗って土浦から上野に行くことでした。

以前、子ども時代に急行ときわ号に乗った時の思い出を記事にしましたが、今回はそれと同じ行程を辿ることで改めて当時を忍んでみようかと思った次第です。

shinop100.hatenadiary.jp

乗ったのは、特急ときわ68号品川行。

12時47分勝田始発で、土浦には13時25分着、1分後の13時26分に発車となります。

今回初めてJR東日本えきねっとに登録し、チケットレスサービスで特急列車指定席の予約と料金の支払いを行いました。

チケットレスサービスを使えば特急料金は100円引きとなり、土浦から上野まで(66km)は920円となります。

えきねっと予約画面

また、今回これも初めてなのですが、切符ではなくSuicaカードを使って運賃を精算し改札口を行き来することにしました。

Suicaカードは普通列車グリーン車の利用で何度か使ったことがあるのですが、運賃の精算で使うのは実は初めてだったのです。

こういうのは実際に利用してみればなんてことはないのですが、初めて何かをやってみようという時は勝手が分からずかなり不安になってしまいます。

さらに、久しぶりの鉄道利用ということもあり、かなりナーバスにもなっていて、列車の発車時間よりかなり早目に土浦駅に行ってしまいました。

 

駅に着いたら、早速券売機でSuicaカードのチャージをしようと思ったのですが、機械に嫌われカードが受け付けられずいきなり出鼻をくじかれるという事態に……。

すぐさま駅員さんを呼んで対応してもらいましたが、駅員さんはカードの履歴がどうこうと理由を説明していましたが、よく理解できませんでした(^^;

ということで、なんとかチャージは無事に済ませられました。

ふと改札口を通る他の利用者の手元を見てみると、スマホモバイルSuicaを使っている人が多く、切符で通るような人は見かけませんでしたね。

 

駅に早く来すぎてしまったので、改札を通ってから四十分余りひたすら待つことに。

天気も良くて風も爽やかで絶好の行楽日和でした。

ホームでは家族連れや若いカップルの姿もちらほら目に。

目的の特急ときわ68号は定刻通りに土浦駅に到着。

使用車両はもちろん現在の常磐線の花形E657系で、堂々たる佇まいです。

ただ、いくらか車体の汚れや痛みも目に入り、ピカピカでは無くなってきた印象。

2012年のデビューから十年という月日も多少感じさせます。

ときわ68号 当画像は上野駅にて

目的の列車が到着して乗り込むときはやはり気持が高まるものです。

その様子をスマホのカメラに収めたかったのですが、気持ちに余裕がないのと、一般客の前で撮影するのは憚られて結局せずじまいでした。

土浦から東京方面はさほど距離はないのですが、土浦からときわ号を利用する人も意外といるようですね。

 

今回僕が指定した座席は9号車のD席。

東京方面に向かって編成後方の右側の窓際席です。

かつて子どもの頃に急行ときわ号に乗った時の記憶に大体合わせてみました。

 

客室に入り指定した座席の方をみると、アジア系の若い男性二人がシートに座っていて少し嫌な予感が……。

幸い席のそばまで行くとすぐに立って席を空けてくれたので安堵しましたが、こういうのはちょっと気まずくてあまり気分の良いものではないです。

最近のJR東日本では、多くの特急列車で基本的には全車指定席とするも座席未指定券(座席指定券と同額)があれば予約ランプのついていない空いている席に座れるという方式を取っていますが、座席未指定券で乗る人ってどれくらいの割合いるのでしょうかね。

もし、そういう人の割合がけっこうあるのなら、下り側の末尾(ときわ号の場合10号車)にでも自由席を設定してそこにも座れるようにしたら良いかもしれないと思いました。

 

乗車率ですが、えきねっとで二時間くらい前に予約した際は席にかなり空きがあったのでガラガラを予想していましたが、実際は意外と高かったです。

窓際席はほとんど埋まっているくらい。

やはり今でも大抵の人は乗る直前に駅で特急券を買うものなのでしょうか。

 

特急ときわ68号は定刻通りの13時26分に土浦を発車。

僕の周りは先述の件で席を移った若いアジア人男性たちがけっこう賑やかで、少々落ち着かない気分でした。

そのために急行ときわ号の思い出にゆっくり浸るという気分にはなれなかったのですが、それでも流れる車窓風景を眺めていると子ども時代の記憶が少し蘇ってきてノスタルジックな気分になってきました。

傾き始めた気怠い午後の日差しもその気分を高めます。

 

特急ときわ号のほとんどは土浦を出ると上野までの停車駅は柏のみ。

急行時代は柏ではなく我孫子だったのですが、途中一駅に停車というのは急行時代と同じ。

次々駅を通過していく様はやはり爽快感があり、車窓を眺めているうちにいつの間にかデッドセクションも通過していて、あっという間に車内放送でもうすぐ柏というアナウンス。

この辺りまで来るとスピードは少し控えめになる印象。

ダイヤは時間的に余裕をもって設定されていて、最初に飛ばせるところで飛ばし、終着駅が近づいてくると時間調整で速度が控えめに設定されるものなのでしょうか。

素人なのでその辺はよく分かりませんが、かつて急行ときわ号に乗ったときも同様だった気がします。

これは列車やダイヤの状況にもよるのかも。

 

上りの列車は南千住を過ぎると大きな右カーブに差し掛かる区間があるのですが、ここで編成後方から編成前方の車両がよく見えます。

かつて急行ときわ号に乗った時も、この区間で自分の乗っている車両を眺めたことがとても印象に残っています。

交直流用急行形電車のローズピンクとクリームに塗られた車体が、午後の日差しに照らされてとても美しかったことが昨日のことのように思い出されました。

今回はそれがE657系の車体なのですが、かつての体験を少しでも追体験したくて9号車のD席を選んだというわけです。

南千住-三河島のカーブにて

このカーブの区間まで来ると、そろそろ上野に到着とのアナウンスが始まります。

上野は今や終着駅ではないので、列車旅の終わりという雰囲気はかつてほどは感じさせませんが、それでも降りる人はそれなりにいて、駅に近づくにつれてパラパラと席を立つ人が目に付いてきます。

僕は早めに席を立ちデッキで待機することにしました。

誰もまだ来ぬうちに、デッキ内とドア越しに客室をスマホのカメラに収めました。

車内をまじまじ観察したり撮影したりする余裕はなかったのですが、証拠写真程度にさっとパシャリ。

上野に到着し、ホームに降りてからもときわ号の姿をさっとスマホのカメラに収めました。

列車は上野駅では幾分長く停車していた印象です。

多くの人が降りることを想定して長めに停車時間を取っているのかもしれませんが、時間帯的なものなか、コロナ禍の影響で乗客が従来より少なめという事情もあるのか、若干時間を持て余していたような印象を受けました。

それから、列車は悠然と東京、品川方面に向かって発車していきました。

上野駅のホームに降りると当日の目的は達成したので後は帰るのみでした。

せっかく上野まで来たのだし色々観て回ろうかという思いもありましたが、コロナのことや体調面の懸念もあるので欲張らずに大人しく引き返すことに決めていました。

ただ、手ぶらで帰るのも芸が無いと思い、駅構内の駅弁・お土産売り場で崎陽軒のシウマイ(真空パック)を購入。

小腹も空いていたので、帰りの列車内用にとNew Daysで万かつサンドとお酒も購入。

以前、万世のハンバーグサンドの方を買ってすっかり気に入り今回も買おうと思っていたのですが、置いていなかったのでかつサンドにしました。

帰りはやはり普通列車グリーン車です。

密を出来るだけ避けたかったこともあり、今回は乗客の少ない階下席を選びました。

その日の目的を果たした達成感と解放感で、帰りはかなりリラックスして過ごせました。

もちろん、万かつサンドもお酒と一緒に美味しく頂きました。

至福の時ですね。

常磐線普通列車グリーン車はもはや僕のホームになっているかもしれません。

慣れたもんです。

ほんと落ち着く(笑)

 

そう言えば、コロナ禍以前は月に一度くらいの頻度で東京にさんみゅう~というアイドルグループのコンサートに行っていて、その帰りに常磐線普通列車グリーン車をよく利用したものです。

そこで缶ビール片手に流れる夜景を眺めながらコンサートの余韻に浸ったりしたものですが、グループは二年前に活動停止し、コロナ禍のこともあり、めっきり東京の方へは行かなくなりました。

今やこれも思い出となりつつあります。

 

17時前には土浦駅に着きました。

帰りの道中に飲んだお酒の影響もあるのか、家に着くとけっこう体がぐったりでした。

久しぶりの乗り鉄でかなり緊張もしていたのだと思います。

僕は少し社会不安障害気味なところがあって、不特定多数の集まるような公共的な空間がすこぶる苦手で、実のところ鉄道の利用は楽しいという以上に緊張と不安を強いるものなのです。

もちろん子どもの頃はそんなことは全然なかったのですが、こうなったのは思春期以降ですかね……。

ただ、ここ数年は歳を取ったという事もあるのか、そういう症状も少し軽くなり、楽しいの方の比率が大きくなって来た気もします。

 

今回、特急ときわ号に乗って感じたのは、時は経ち、時代も変わり、僕も歳を取ったという実にほろ苦いものでした。

急行ときわ号に乗ったのは1983年か1984年のことで、もはや四十年近く前の話でそれも無理からぬことです。

当時はまだ国鉄Suicaはおろか自動改札口すらなかったような時代。

あれから国鉄は民営化されてJRとなり、バブル景気や失われた二十年、さらに震災やコロナ禍を経て世の中もずいぶん変わり、世知辛くなった印象です。

JR各社も営利企業として不採算事業をどんどん縮小、削減しているというし、車両の運用や列車の運行ダイヤなども利用実態に即して合理化されて行っているようです。

車内販売の縮小や、みどりの窓口の閉鎖もそうした流れの一環なのでしょう。

今後人口減少でますます利用者は減っていく一方との見通しもあり、地方の不採算路線をどうするかなどという景気の良くない話も耳に入ってきます。

僕自身も小学生だった当時のように世界や物事をシンプルに見られなくなりました。

電車に乗っていても、様々な社会や大人の事情を垣間見てしまうのです。

子どもの頃のような胸の弾むようなワクワクや感動はなく、当時の気持ちを追体験しようにも決してできないということを改めて思い知らされた気分です。

ただ、子どもの頃には知り得なかったことを知ることで、物事を深いレベルで興味深く眺められるようになった部分があることもまた事実です。

それはそれで良いのかもしれません。

常磐線にはもう「急行ときわ号」はありませんが、普通列車グリーン車という新たな「推し」も見出しました。

ひたち・ときわ号の行く末も気になります。

少々気が早いですが、次はどんな車両になるのかとか……。

おそらく常磐新幹線というのは実現しないだろうから、在来線特急としてのひたち・ときわ号はこの先も安泰なのでしょう。

ひたち号仙台直通便もどうなるのか。

少し前の地震による東北新幹線不通の振り替え輸送でがその意義が示されたので、僕はこれも存続していくのではないかと思います。

あと、最近はTXがつくばから先に伸長するという話があり、実現すればこれが常磐線の列車運行にどのような影響があるのかも興味深いところです。

 

とまあ、色々興味は尽きないわけですが、今回をきっかけにまた乗り鉄趣味を再開したいところです。

コロナの状況を見つつ、二か月に一回くらいはやりたいでしょうか。

 

ということで簡潔にさっと記事を書くつもりが、結局長々と自分の思いを語ってしまいました。

今回はこの辺にしたいと思います。

 

さて、次は何に乗ってどこへ行こうか……

 

特急しなの号の思い出

今回は鉄道に関する個人的な思い出について少し書こうと思います。

 

自分にとって思い出深い列車はいくつかありますが、名古屋-長野を結ぶ特急しなの号もその一つです。
と言っても、これまでしなの号には一度も乗ったことがありません。
それが何故思い出深いのかと言えば、子どもの頃に仲の良かったある友人の顔を思い出すからです。

彼は僕が幼少の頃(1980年代前半辺り)によく遊んでいた友人です。
当時、僕の一家は兵庫県の西宮市にあった父の勤める会社の社宅に住んでいたのですが、彼も同じ社宅内に住んでいました。
父の勤める会社は一応大手だったので転勤も多く、その社宅にも全国様々な所から社員とその家族が集まってきており、彼の家族もそうだったわけです。

その彼の実家が長野にあり、お盆休みなどよく家族で長野に帰省していたようです。
その際に必ず利用していたというのが特急しなの号で、当時の彼の話によれば、名古屋発着ではなく大阪発着の便を利用していたようです。

 

大阪発着のしなの号は2016年の改正で無くなり全て名古屋発着になりましたが、国鉄時代の当時から1往復だけ大阪発着の便があったのです。
1980年の時刻表ではしなの9号(大阪→長野)が8:30~14:25、しなの10号(長野→大阪)が14:15~20:07と6時間弱で大阪‐長野を結んでいました。
ちなみにJR時代に入ってから新型車の383系が投入され使用されるようになってから、5時間前後まで時間短縮されています。
しなの号の1往復だけ大阪発着という体制は2016年まで続いていたわけですが、大阪‐名古屋は新幹線と競合する区間
それでも大阪発着の1往復が2016年まで残されていたのは、それなりに需要があったという事なのでしょうか。


そんな大阪発着のしなの号ですが、彼はこのしなの号に乗ったことをとても得意げに語っていました。
しなの号には世界初の振り子式電車である国鉄の381系特急形電車が使用されていたのですが、それがまた彼にとっては自慢の種で、「速くてカーブを曲がるときにすごく傾くんだよ…」などと興奮気味に語っていたものです。

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出典:『小学館の学習百科図鑑 31 特急列車』小学館 1981年

未だ国鉄の在来線の特急列車に乗ったことがなかった僕はその話を内心とても羨ましく思いながら聞いていました。
すでに新幹線には何度も乗ったことがあったのですが、僕にとって新幹線は「特急」ではなかったのです。
新幹線は在来線の特急とは別物というイメージあって、在来線を走るからこその「特急」なのであって新幹線はあくまで「新幹線」という認識だったのです。
そして、僕は乗る機会のあった「新幹線」よりもなかなか乗る機会のなかった「特急」の方に憧れを募らせていたわけです。
そこには無いものねだりの心理もいくらか働いていたかと思います。

それでも僕は羨ましい気持ちを押し殺し、彼に対抗して、自分も東京まで新幹線に乗って行ったと自慢してみるのですが、どうにも推しきれない。
一方、彼は自信満々で「しなの号の方が凄い」の一点張りで、この自慢合戦は終始僕の方が分が悪かった気がします。

 

ところが、そんなやり取りをしてから少し月日が流れたある年の盆明けに、彼は興奮気味に僕に話してきました。
彼はその年の盆に帰省した際、長野との行き帰りで初めて新幹線に乗ったというのです。
それまでは、大阪発着のしなの号で往復するというのが通例だったようですが、その年は大阪‐名古屋は新幹線を利用するという行程で長野と往復してきたとのことでした。
そして、「しなの号は凄い」の一点張りだった彼も、「新幹線って凄いんだね」と、あっさり新幹線の凄さを認めたのです。

ただ、その時、すでに僕は急行ときわ号の乗車体験をし、僕の目は在来線の優等列車、特に「急行」という存在に向きつつあった頃。
気持ちは少し複雑でした。


それから間もなく僕は父の転勤の関係で横浜に引っ越しました。
彼とはそれ以来会っていません。
しばらく手紙や年賀状のやり取りはしていたのですが、いつの間にかそれも途絶えてしまいました。

20代の頃、そんな彼から久しぶりに便りが届いたことがありました。
便りには彼が大学を卒業してから長野に戻って小学校の教員になったことや結婚もしたという近況が書かれていました。
それから手紙や年賀状のやり取りが再開しましたが、それもまたいつの間にか途絶えてしまい、そのまま今に至ります。


未だに「しなの号」と聞くと、昔図鑑などでよく目にしたカーブで少し傾いたの381系の車体と、しなの号に乗ったことを得意げに語る小学生の彼の顔が思い浮かぶのです。

 

現在、しなの号は381系の後継車となるJR東海383系で「ワイドビューしなの号」として名古屋‐長野を結んでいて、381系はJR西日本の岡山‐出雲市を結ぶ特急やくも号に使用されています。

それにしても、381系が未だに現役で走っているなんて驚きですよね。
そろそろ383系の後継車の計画も……なんて声もちらほら聞かれるようになったのに、1973年のデビューから40年以上経っている381系が未だに一線で活躍しているのだからおそるべし国鉄型です。
しかし、そんなやくも号の381系もさすがに限界が来ているのか、2022年以降新形式の車両に置き換えられるとのことなので、乗れるうちに乗りに行っておきたいところです。


今回はそんなところでお終い。

2020年3月14日ダイヤ改正について(快速あいづ号編)

前回からの続きで、今回は指定席が導入された磐越西線の快速列車あいづ号について思うところを述べようと思います。

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今回のダイヤ改正で、磐越西線の郡山-会津若松を走る快速列車3往復に指定席が導入され、「あいづ」の愛称が付けられました。
指定席はE721系電車のクハ車車内の半分程度のスペースに設けられたリクライニングシート14席。
車椅子利用者に対応した席もあるとの事。
シート間ピッチは960mm。
コンセントは未設置との事ですが、座席自体はJR東日本の特急列車の普通車座席とほぼ同水準であると言えます。
料金は座席指定料の530円(閑散期330円)となっております。


磐越西線の同区間には、かつて「ばんだい」という愛称の付いた快速列車が運行されていました。
455系クハ車を1両改造してグリーン席と普通指定席を設けた編成もありました。
また、485系を使用した特急「ビバあいづ」やそれを格下げした快速「あいづライナー」が運行されていたこともあります。
元々優等列車の需要が一定程度あったことはうかがえ、沿線自治体からも優等列車を望むような声もあったかと思われます。
しかし、過去の実績から、特急列車やグリーン車よりも快速列車に指定席を導入する方が適切と判断されたかと推察します。

今回のこの動向、僕にはかなり興味深いです。
昨年にはJR西日本の新快速に有料座席のAシートが導入されたりしましたが、このように、快速列車に使われている一般形車両の普通車の一部を改造して有料座席を設けるのは最近のトレンドなのかもしれません。
こうした快速列車への有料座席の導入は、わざわざ特急を新設する程でもないが一定程度の優等列車の需要にも応える為の一手となっているように思えます。
乗客にとっては、特急に近い快適さを享受できながら特急よりも手軽で安価に利用出来るサービスで、かつてなら急行列車が担っていた需要の一部に応えているとも考えられます。
そこが興味深く思えた点です。

昭和40年代後半くらいから、在来線優等列車は急行を廃して特急に一本化というのが一貫した大きな流れでした。
その流れが加速した昭和の終わりの国鉄時代末期の頃も、まだまだ経済成長が信じられていたし、もっと豊かで便利になるという明るい見通しもあったし、バブルも経験し、特急一本化の流れを後押ししていました。
それは2016年の急行はまなす号の廃止で完遂した感があります。

しかし、すでにバブルが崩壊し、失われた20年を経ている今、潮目も変わっているように思えます。
高速道路網の発達、高速バスの充実など、移動手段の選択肢も増えました。
近年の房総特急の縮小の例などから、在来線特急の行く末も決して安泰ではないようです。
特急が苦戦している所もあるのです。

ある程度旅客需要がある路線であるならば、そこで花形となるような魅力的な看板列車の存在って必要だと思います。
普通や申し訳程度の快速しか走っていないというのはやはり何かが物足りない。
そして、そういう看板列車は何も特急である必要はなく、有料座席を導入した愛称付きの快速でも良いと思うし、もちろん急行でも良いはず。
時刻表を見ていても、列車種別は快速でも愛称や指定席が付いている看板列車が複数本走っていれば、その路線の印象が大分変わります。

特急にはかつて持たれていたような庶民の手に届かない高嶺の花といったイメージはありませんが、やはり特急は特急で乗客にはそれなりの経済的な負担が求められます。
専用の車両を用意しメンテナンスしなければならないとか、鉄道会社にもそれなりの運用コストがかかり、安易に走らせることはできないのでしょう。
しかし、路線によっては、特急をわざわざ走らせる程でもないけど、観光需要や着席需要はそれなりにあるという場合もあるかと思います。
そういう場合、今回の磐越西線のように快速列車に指定席を設けるのは、ある程度乗客のニーズに応えられる上に鉄道会社にとっては運用のコストが抑えられるという両者にメリットのある有効な一手であると感じた次第です。


今回、磐越西線で行われた快速列車への指定席導入を僕は前向きに捉えたいです。
もっと鉄道を利用してもらって地域に人を呼び込もうという積極的な姿勢を感じたからです。
これが吉と出れば、快速列車への有料座席導入という動きはもう少し広がって行きそうです。
少々強引ながら、これはある意味で急行列車の復活と言えるのかもしれません。
急行愛好家の僕にとってはなかなか見逃せない動きなのです。


ということで、今回の記事はここまで。
今回をもってダイヤ改正に関する考察記事は終わりにしたいと思います。

2020年3月14日ダイヤ改正について(伊豆特急編)

前回の続きで、今回は今年(2020年)3月14日に行われたダイヤ改正による伊豆方面へ向かう特急列車の新たな動きについて思うところを書いてみようと思います。
 

やはり目玉なのはE261系サフィール踊り子号のデビューでしょうか。
E261系は全車グリーンの供食設備(ヌードルバー)付きという、先だって引退した251系スーパービュー踊り子号を凌ぐ驚きの豪華編成。
僕はまだ乗ってもいないし実際に見てもいないのですが、ネット上にアップされている動画や記事を見るだけでもJR東日本の力の入れようが伝わってきます。

www.jreast.co.jp

近年JR各社からさらに豪華な設備を備えたクルーズトレインが次々登場していますが、サフィール踊り子号の場合、運行日が限定されるクルーズトレインではなく、毎日走る定期列車として運行されるから驚きなのです。
これはかつての「特別急行」の再来のようでもあり、サフィール踊り子号が成功すれば「特急」の概念がまた少し変わりそうな予感すらします。
久々に素直に「こりゃスゲェや!」という感慨を抱かせてくれる列車が登場した気がします。

 

サフィール踊り子号の毎日走る定期便は1往復のみの設定。
さすがにこの豪華さで、スーパービュー踊り子号の筋を全て引き継ぐという訳には行かないと思われます。
ただ、これも今後の利用状況次第で増便ということもありえるし、この先そういう景気の良い話も聞いてみたいものです。
もっとも、僕のような庶民にはなかなか手が出ない代物だけど…^^;
それでも、一度くらいは奮発して乗ってみようと思っています。


もう一つ、今回、中央線の特急あずさ・かいじ号として活躍したE257系のリニューアル編成(2000番台)が遂に踊り子号の運用に入りました。
E257系のリニューアル編成ですが、こちらもまだ実物を見ていないので何ともですが、ネット上にアップされている動画や画像を見る限り、外観の仕上がりはかなり良いんじゃないかと思います。
より特急らしくシュッとスマートになった印象です。
車内もリニューアルされて、座席のモケットが取り替えられたり、コンセントや着席ランプの設置などが行われている模様。

ただ、車内のリニューアルは必要最小限のようです。
グリーン車に関しても、E257系はもともと半室グリーンという構造で今回のリニューアルで全室グリーンとされましたが、元々普通席だった区画は座席と窓割が合っていないといういささか残念な状態になっているとのこと。
E261系の気合いの入れられ方と比べると少し投げやり感が否めないですが、車両数も多いし、E257系も車齢二十年を迎えようとしていて、この先そんなに長く使用される訳じゃないのかな(長くて十数年といったところか)ということも少し窺わせますかね。
とは言え、少なくとも普通車席に関しては、これまでよりは格段のサービス向上になっているのは確かです。

news.yahoo.co.jp

運用に入ったのはまだ一部の列車ですが、これから徐々に185系を置き換えていくと思われます。
となると、気になるのは185系の去就。
来年の改正では185系が踊り子号の運用から完全に退くと思われます。
おそらく215系も合わせての湘南ライナーからの撤退ということにもなり、今現在通勤時間帯に運行されている通勤ライナーは、中央線のように全て特急化され、E257系リニューアル編成が運用に就くと思われます。

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185系踊り子号(2018年東京駅にて)

185系踊り子号はもうしばらく乗れそうですが、それも後一年足らずでしょうから、乗れるうちにコロナが終息してくれることを願うばかりです。

 

今回はこの辺で。

次回は磐越西線の指定席が導入された快速列車「あいづ号」について思うところを述べてみようと思います。

2020年3月14日ダイヤ改正について(常磐線編)

またまた久しぶりの記事となってしまいました。

世の中がコロナ禍で大変なことになっていますが、私事で大変恐縮ながら、昨年の12月に左足の骨を折る怪我をしてしまいまして、乗り鉄の方もまたしばらく預けとなっていました。
年が明けて怪我が治り、さあまた……と思っていたら今度はコロナ禍ということで、もうしばらく乗り鉄はお預けになりそうです。
ということで、今回は今年(2020年)の年3月14日に行われたJRのダイヤ改正について思うところを少し書いてみようと思う次第。


今回のダイヤ改正、個人的に目玉と思えたのは次の三点。

常磐線の全線運転復活と、特急ひたち号の仙台までの直通運転復活。

②伊豆方面へ向かう特急列車の新たな動き。
E261系サフィール踊り子号のデビューやE257系2000番台による踊り子号の運行開始など。

磐越西線の指定席付きの快速「あいづ号」の新設。

 
そんなところでしょうか。
全部JR東日本関連になってしまうのですが…^^

 

まず①常磐線の全線運転復活ですが、これは今回のダイヤ改正における最大の目玉だったと言えるのではないかと思います。
沿線住民やJR東日本にとっては悲願だったに違いありません。
この常磐線全線運転復活に関するネット上にアップされている記事や動画を見ると、路線は震災前の状態に完全に戻ったというわけではないようですが、一先ず東京方面から仙台まで繋がった意義はかなり大きいのではないかと思います。
福島第一原発廃炉もまだまだ道半ばだし、帰還困難区域も残っているし(富岡から浪江まではまさに帰還困難区域の中を線路が通るような状況)ですが、更なる復興に向けての弾みにもなりそうです。


そして、おそらく多くの鉄道ファンにとっても喜ばしいのは、特急ひたち号の仙台までの直通運転復活ではないでしょうか。
かつての東北本線常磐線の上野口では、仙台や青森をはじめ東北地方と結ぶ在来線特急列車が数多く発着していたのですが、ひたち号の仙台行きは当時の東北特急の雰囲気を今に伝える唯一の存在と言えるのかもしれません。

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品川駅で出発を待つE657系ひたち号(撮影は2017年)

これは個人的にもかなり嬉しい。

時刻表を見てみると、今回東京方面といわき以北を結ぶ定期便の特急列車は、品川・上野-仙台を結ぶひたち号が3往復設定されています。

2006年の651系スーパーひたち号の時代には、上野-仙台の列車が3.5往復、いわき-仙台の列車が1本(スーパーひたち1号)、さらに上野-原ノ町2往復を含めると、いわき以北を走る特急列車は6往復あったことになります。
現段階ではいわき以北を走る特急列車の本数はその半分と言えるわけですが、おそらくまずは3往復で様子を見て、今後の利用状況しだいで増便もあり得るといったところでしょうか。
上野-仙台の所用時間は最短で4時間22分(ひたち14号)で2006年の4時間10分(スーパーひたち27号)より長くかかっています。

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2020年4月ひたち14号のダイヤ(「JTB小さな時刻表2020春号」より)

東京方面と仙台を乗り通す需要は考慮されていないと考えられますが、今後、利用状況や復興の進展状況次第で所用時間の短縮はあり得るのかも。
現在のE657系なら10両固定で途中切り離しや増結も行わないし、651系より速く走れる能力は十分あるのでしょうし。
もし、今後増便や時短が行われるとしたら、それはこの地域で復興が進み活気を取り戻しつつあるということにもなると思うので、是非そうなって欲しいものです。

 

ちなみに、僕が最寄駅である土浦から仙台に行こうとする場合、8時50分に土浦を発車する特急ひたち3号(上野始発)に乗れば、乗り換え無しの一本で行けます。

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2020年4月ひたち3号のダイヤ(「JTB小さな時刻表2020年春号」より)

所用時間は3時間41分。 料金は運賃+特急料金で7720円。
実は上野経由で特急ときわ号上りと新幹線のはやぶさ号下りを乗り継いで行けば、ひたち3号の仙台直通便より大分早く行けたりします。
最短で2時間半程度と1時間以上早く行けるわけですが、料金は13100円とかなり高め。
乗換の手間も考慮すれば、僕は断然ひたち3号を選択するでしょうかね。
ただ、行き先が仙台の先の盛岡や青森の方までとなると選択肢は変わってくるのかもしれません。

とまあ、こんな風に行程を考えるだけでも楽しいです。
ダイヤ改正前なら、土浦から仙台まである程度早く行くことを考えると、上野経由で新幹線を利用するしかなかったと思いますが、ひたち号の仙台までの直通運転が復活したことで在来線特急1本で行くという少し手軽な選択肢が増え、仙台方面との心理的距離も少し縮まった気がします。
ともかく、コロナの脅威が過ぎ去ったら、是非とも上野から仙台まで乗り通してみたいものです。

 

今回はそんなところで。

次回は②伊豆方面へ向かう特急列車の新しい動きについて少し思うところを述べてみようと思います。

E657系に初乗車した話と常磐線特急の仙台までの直通運転復活について

つい先日ですが、初めて常磐線E657系に乗ってきました。
2012年のデビューからはや七年、E657系はすっかり常磐線特急の顔として定着した感があります。
しかし、僕はまだ未乗車でした。
乗ろうと思えばいつでも乗れるという事で、つい後回しにしていたところもあります。
今回でようやくE657系の走りを体験することが出来ました。

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その日は久しぶりに上京し、帰るときは夜も大分遅くなっていました。
お酒も少し入っていました。
もっと早い時間帯ならば普通列車グリーン車でゆったり帰ったところですが、体調面の心配もあって帰るのが遅くなることは避けたかったので、上野から特急を使うことにした次第です。
当日、常磐線は車両トラブルの関係でダイヤに遅れが出ていたので、普通で帰ると大分遅くなりそうだったというのもあります。


乗ったのは特急ときわ87号高萩行き。
時刻表では上野を出発するのは22時となっていますが、予定より30分ほど遅れての出発となりました。
その日は気分的に乗り鉄モードではなかったのですが、E657系への初乗車という事で、やはり気持ちは高まりました。

ときわ87号は上野を出発したら土浦までノンストップ。
ダイヤの関係か、スピードは思ったほど出ていないように思えましたが、次々と駅をすっ飛ばして走っていく様は実に爽快。

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四十数分程度の乗車でしたが、あっという間で、時間的に物足りなかったくらい。

大変快適でした。


ところで、少し前に、常磐線が全線復旧したら、常磐線特急の上野-仙台の直通運転が復活するというニュースを目にしました。
震災前、いわきで特急の系統が分離される計画が立てられ、それが震災で立ち消えになったという経緯がありましたが、結局直通運転の復活という形に落ち着いたようです。
上野-仙台の直通運転が復活すれば、走行距離が300キロを超える在来線の長距離特急が一つ復活することになりますね。
今や長距離の旅客輸送は新幹線が担っていて、在来線特急の役割は中距離の都市間輸送がメインとなっていますが、時代のトレンドに少し逆行するとも言える決定を歓迎したいです。

 

ちなみに1980年の常磐線はこんな感じ。

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ページ少し右のひたち15号が上野-仙台を直通運転しています。
当時のひたち号は485系による運転で、4時間45分で結んでいます。
ひたち号以外にも、上野-盛岡を結んだ急行もりおか3号とか、上野-青森を結んだ特急みちのく号などが目を引きます。
みちのく号には食堂車のマークも…。
時代ですね。

もう少し時代は下り、2006年の常磐線のダイヤ。
651系のスーパーひたち号が仙台まで直通運転してた頃。
スーパーひたち27号が4時間10分で結んでおり、1980年の頃より所要時間が35分短縮。

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E657系上野-仙台の直通運転復活を楽しみにしています。